泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[障害者支援]極端に運営本位の話をしてみる

 支援費制度がはじまる前に全国ネットが出していた全国の事業者紹介本を手にとってみる。それぞれに会費や登録料や利用料の価格設定をしてサービスを提供していた時代の貴重なデータだ。都道府県等の補助を受けつつ高い利用料金をとりながら職員数名を雇い、どこもなんとか運営していた。そんな時代の各事業所のデータと比較をすると、いま自分の法人が提供しているサービス提供量は決して少ないものではなくなっていることに気づく。ガイドヘルプに学童保育への加配派遣、長期休暇中の活動など合計すると、ざっと計算しても5000時間ぐらいにはなるだろう。すると2002年時点で同じぐらいの実績の事業所がたくさんある。ところが、それらの事業所と今のうちの従業員数を比較すると、あまり変わらないようなところがある。こちらは支援費という制度に乗ってきたにも関わらず、専従の支援者が雇えていない。これからもっと雇えなくなる。これはどういうことだろう。
 利用者の自己負担はこの時代と比べれば飛躍的に少なくなった。1時間1000円前後の金額を設定しているところも多い。たとえ障害者自立支援法で1割負担になったとしても、この時代とは比較にならない。家族の負担軽減のためのレスパイトサービスが中心的であり、料金も高かったのだから、個々の利用時間は決して多くなかっただろう。制度ができたことで間違いなく一人あたりの利用時間は伸びたし、利便性はあがった。一方で、利用者のモラルハザードなんてことも言われるようになったし、支援への依存度を高めているだけではないか、というような批判までも出てきた。そうした指摘はあたっているケースもあれば、外れているケースもある。
 もし、支援費制度がはじまっていなかったら、どうだったのだろう。きっと社会資源は増えなかっただろうし、利用者も増えなかっただろうし、地域格差はいま以上にひどかったかもしれない。では、事業者の運営という観点から見たらどうか。よくわからなくなってきた。アメニティフォーラムでは「薄利多売」なんて言葉も出ていたが、支援費開始前に事業所が受け取っていた金額、すなわち大きな自己負担にわずかな補助を加えた金額は、もはや予測される新単価と変わらないような気さえする(特にガイドヘルプは)。しかし一方で、サービス提供には資格が必要になっている。昔と同じように「薄利」であるが「多売」は難しい。
 ニーズも時代状況も全く違う中で、利用者の視点や地域格差の解消や障害種別のことを完全に無視しての比較は馬鹿げているとよくわかっているし、我ながら何て薄汚れた話かと思うが、あえてものすごく狭い視野で状況を見ると、なんだか奇妙である。自分のような支援費に助けられた新参者ではなく、何もない時代から地域生活支援を続けてきた人に聞いてみたい。いったい何が得られ、何が失われたのかと。