泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[社会福祉]無関係ではない支援

 sugitasyunsukeさんから数日前の日記にトラックバックをいただく。http://d.hatena.ne.jp/sugitasyunsuke/20060203

ところでlessorさんのブログに「大阪の野宿者の強制退去のニュースがTVで流れていた。介護職員たちがみんな「あんなの早く無くしちゃえばいいのに」「子どもを連れて行けない」という反応。高齢者は包摂、野宿者は排除。その根拠ははっきりしない」(http://d.hatena.ne.jp/lessor/20060130)とあって、本当どこも同じだと思った。

 自分は長らく障害者やその家族、そして支援者と関わっているわけだけれど、こうした例は枚挙に暇が無い。
 支援者はそれぞれに何らかの動機づけを経て、支援に携わるようになる。多くは経験的に「この人たちに支援が必要だ」とか「この人たちの支援がしたい」と考えるに至るわけだが、それは裏を返せば、自分の関心事以外にはどんな考えをもっていても不思議はないということでもある。大学の社会福祉系学部に進めば、いくらか支援の「哲学」めいたことも聞くだろうが、それがどの程度まで学生の心を打つかはわからないし、まさに自分がいま受講している「ヘルパー資格研修」のようなものなら、「高齢者の介護をしたい」という気持ちさえあれば、それで十分にやっていけてしまう。その後の仕事においても、大きく困ることはなかろう。介護・介助に携わる者は、ただ「介助がないとこの人は生活できない」という思いだけで仕事を続けうる。それは生きていくための十分条件ではない。しかし、介護保険のような制度のもとで働く介護者には、他の条件が見えにくい。
 支援を受ける側も同様である。自分のところの利用者(家族)にもイラクの人質事件の際に「殺されても自業自得」という者がいた(惨殺されて、その映像がインターネット配信されたあの悲惨な事件である)。同意を求められた自分は反発したため、しこりが残った。その利用者(家族)とは、その後も支援費サービスの利用とは無関係な話での齟齬が大きくなり、今は担当を外れている。なぜわが子への強い共感や支持を求めながら、かくも他人には想像力を欠くのか。苛立たずにはいられなかった(こんなことでは支援者としては失格だろうが)。また、障害をもつ者の間での差別的発言もしばしば聞く。
 自分はずっと空しさを感じている。現状では「福祉」というひとつのパイを「高齢者」「障害者」「児童」「低所得者」「失業者」などの諸分野で奪い合わされているように見える。パイを切り分けている者の姿は見えない。テーブルの上の小さなパイを子どもたちが奪い合う。誰も「パイが小さすぎるのだ」とは言わない。誰かひとりがそう主張したとしても、他の子どもたちが「そんなことは言っていられない」「自分はとにかく一刻も早く食べたいのだ」と言えば、それで終わる。
 パイを大きくしようという主張は、皆がしなければ力を持たない。しかし、そのための前提はどのように整えられていくのだろうか。その前提を整えることを夢としてしか信じられない者は、結局またパイの奪い合いへと走る。自分は「NPO」に注目が集まりはじめたとき、それが多くの社会的必要を結ぶ「横軸」となることで、夢が夢でなくなるかもしれないと期待したが、どうもその期待は誤りだったようにも思いはじめている。「福祉」はその閉鎖性が指摘されるが、「NPO」も単に「閉じ方」が異なるだけように見え、失望しつつある。では、次に来るのは何だろうか。