泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[日誌][障害者支援]親・支援者・行政

 朝から隣の自治体の親の会で話す。卒業後の日中活動の場づくりを目指し、とりあえず場所を借りて学齢児の放課後活動の場づくりを始めたが、将来に何の見通しも立たない、という親の会。以前にも少しだけこの日記に書いた。
 もともとそのような取り組みを母親たちに勧めたのはこの地域の某社会福祉法人である。運営している通所授産施設は定員をはるかにオーバーして、無理の大きい経営が続いている。定員を超えた部分は共同作業所でカバーし、それにも限界が来れば今度はデイサービスをはじめ、可能な限りの努力をされてきたが、重度の障害をもつ人をこれらの制度で対応していくのは容易でない*1。考えられないほどの赤字も出ている。労働条件も厳しく、職員の離職も多い。これ以上の事業拡大は苦しい。
 ゆえに、「自分たちの力で何かをはじめてほしい」と親たちに期待が寄せられるのは、それが良いことかどうかは別として、自然な成り行きでもあった。そして、親たちもわが子の将来の仕事場へとつながるならばと思い、ある程度の人数が集まるに至った。この間にもひともんちゃくあったようで、袂を分かつことになった親はまた別で活動をはじめている。そちらの動向はよく知らない。
 親たちはマンションの一室を借り、家賃を負担しあって、宿泊を伴うショートステイをはじめた。養護学校の教員や父親も無償で支援に入った。社会福祉法人からも宿泊の手伝いには人が派遣されていたらしい。自治体福祉課は「まず実績を作らないと、何もさせられない」と言うから、親たちは「これも『実績』になれば」としばらく努力を続けた。
 しかし、事業所としての指定を受けているわけではない。しばしばこの業界では非公式に行われることだが、社会福祉法人からの再委託のような形で金を受け取る形だった(法的には、あまり望ましいこととは言えない)。実績と言っても表向きはすべて社会福祉法人の実績にしかならない。さらにこの努力をいつまで続ければ、次のステップに進めるのかも見通しが立たなかった。社会福祉法人から「どうすれば就労の場づくりへとつなげていけるか」という具体的な助言は何もない。次第に親たちはどんどん疲れてきた。「いったい私たちに期待されているのは何か?」「いつまでこんなことを続けていけばよいのか?」
 そんな状況下で、その社会福祉法人から頼まれ、親たち向けに自分がこれまでにやってきたことを話してきたわけだが、話を終えた後、社会福祉法人と親たちの対話がはじまった。今日の本題はこれだったのだ。親たちは「みんな自分の生活だけでも疲れきっている。見通しが立たないのでもう続けたくない」と言い、社会福祉法人は「見通しが立たないのは誰もがいっしょだ」と言う。話は平行線をたどり、社会福祉法人側が「そんなに疲れているなら、無理かもしれない…」という印象を強く抱いて、終わった。親たちの「見通しの無さ」と社会福祉法人の「見通しの無さ」。言葉は同じでも、違うものを指しているように聞こえた。
 自分たちで組織の運営なんてとんでもない、と親たちは何度も何度も繰り返す。元気な他地域の親の会と比較されるのに疲れ、「○○のようにはできない」という言葉にはもう力が無い。家族の中に要介護の高齢者がいる家もあれば、きょうだいに大きな負担がかかっている家もある。夫の仕事が上手くいっていない家もあれば、母親自身が働いている家もある。
 社会福祉法人は親たちが自分たちで活動して成果をあげていくことで「元気になるのではないか」と期待をしていたようだが、その見込みは外れた。結果は全く逆である。明らかに支援の仕方を誤った。親たちは活動の発展を実感する機会もこの次の段階を計画する機会もなかっただろう。このようにして、また「私たちには無理なので、社会福祉法人のほうでなんとかがんばってもらえませんか」と、事態は振り出しに戻ろうとしている。結論は持ち越されたが、「もうがんばれない」という親の気持ちは十分に見えた。
 この経緯から何を学ぶべきか。
 親たちに社会から寄せられる過剰な期待を糾弾するのは簡単だし、親たちにうまく力を添えられなかった支援者を責めることもできる。親たちの中には元気に活動を続けられる親もいる。しかし、そうでない親もいる。行政や支援者は「できる」親に勝手に期待するが、実態を知らない。あるいは想像力が足らない。親がそのような仕事をしなければいけないということ自体に何の根拠もないが、やむにやまれずそのような展開になったとしても、勝手に見本として設定した誰かやどこかの団体と同程度の努力を求めてはならない。それは親の間のコミュニケーションにおいても同じである。今回の件は、親たちの無力感をむしろ強める結果になっただろう。自発的にやる気を抱いた親たちは、すぐれた取り組みを紹介されるうちにむしろモチベーションを落としていったように見える。これはきっとNPO支援の方法論にも一石を投じる。
 さらにはより根本的な問題として、日中活動の場作りについて厳しさの増す制度的な環境を示すこともできる。就労支援の現状はあまりにひどいし、このあたりの地域で共同作業所に代わるものとして今後の拡大が見込まれていたデイサービスは来年度から市町村事業へと再編され、暗い見通ししかない。
 まだまだ書きたいことはあるが、今日はセキが苦しかったため仕事を早く終えて医者に行き(医者が大嫌いなため、なんと7年ぶり)、抗生物質をもらってきたぐらいなので、もう限界。某雑誌で読んだニキ・リンコさんの論考が面白かったので考えを深めたいが、後日にしよう。ここにこう書いておけば、また思い出せるだろう。

*1:障害者の就労について特に知らない人のために書いておけば、更生施設・授産施設・共同作業所・デイサービスなど多様な日中活動の場があるが、実態としてやっていることには大差ない。ただ、報酬単価や補助金の額が異なるだけである。ゆえに自治体の財政事情によって、事業者がどの制度活用を選択できるかに差が出てくる。この実態に合わない仕組みは次年度から5年ほどかけて再編されることになっているが、新しい仕組みも巧みに財政支出を抑制できるよう設計されているので、今以上に悲惨な事態になる可能性が高い。