泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 あわただしくなってきた。自転車で関係機関を走り回る。少しずつ来月からの準備は整いつつあるが、肝心なことが決まるのは来週になる見込み。今まで経験のない仕事がこれからどんどん増えることへの不安は次第に高まっている。自治体行政からは、これから事業所として「売り」を作っていってほしいと言われている。同じサービスを提供する事業所が複数になってくるのだから、もっともな話。支援者としての力量をとことん問われるようになるのだろう。自信を持たせようといろいろ言ってくれる人もいるが、ひとりでできることなどたかが知れている。周囲の人々の力をどう活かしていくか。
 学生ボランティアは少し勢いづいており、自主的に企画を組んだりしはじめている。今の様子を見ていると、しばらくは自分が深く関与する必要はなさそう。むしろ入らないほうが、順調に発展する。学生が長所を活かせるための条件づくりをしていくと宣言して、少し立ち位置を変えることにした。ただ、学生組織が長く続いていくことはとても難しいのも知っている。気持ちのある学生が揃っている向こう1年ぐらいで、どこまで組織のルールと風土ができていくか。状況が変われば、職員の関わり方もまた変わる。
 夜のミーティングに法人理事である養護学校教員がやってきて、隣の市にできた居宅支援の事業所(有限会社)の評判がとてもよいと情報をくれる。何も資源がなかったところなので、それはよかったと喜ぶ一方で、おそらくこの地域も対象エリアに入っている。利用者が移る心配はあまりしていないが、何かと比較もされるだろう。
 運営形態や組織の成り立ちや自治体格差などの初期条件が全く違っても、単純に使い勝手がいいかどうかで事業所の比較はなされる。隣の市ではこんなふうにサービス提供できているのに、なぜここではできないのか、とも言われる。ケアの内容や質のことではなく、もっぱら需給調整やサービスメニューの話である。それらは多くの場合、所与の条件下ではどうにもならないことなのだが、みんな言わずにはいられない。一方にうちしかやっていないこと、うちだからできていることもある。それでも慣れというのはこわいもので、良い部分には次第に目を向けてもらえなくなる。
 比較の中で、利用者のサービスを見る目が育っていくのは間違いない。ただ、泣き言を聞いてもらえるならば、同じ条件のもとで比較をしてほしいというのが正直な気持ち。そうは言っても、同じ条件のところなんて全国どこにも存在しないわけで、現実的ではなかろう。だから、これは泣き言にしかならない。ならば、サービス評価基準のようなものに基づいて、事業所を総合的に評価? 利用者それぞれは総合的な評価なんて求めていない。自分の関心のある部分について、どうか。それだけである。そして、それでよい。にもかかわらず、「この部分については、こんなにがんばっているじゃないか」とどうしても言いたくなってしまうのが、自分の弱さである。
 明日は朝からガイドヘルプ2件。平日にガイドヘルプが2件できるのは、珍しい。夜は養護学校にて、今年度はじめての評議委員会。ありえないくらいのスピードで各学部の教育目標が項目ごとに説明されて、コメントを求められるはず。目標はすべて高い理想と希望に燃えたものばかりなので、コメントに苦しむこと必至。