泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

行動援護のその後

 Yahooで「行動援護」を検索して本ブログにやってくる人が毎日10人くらいいるのだが、最近は何も情報が入ってこない。6月に行動援護ガイドブックが出ると言われていたのだが、それについても何ら情報がない。おそらく出版が遅れていると思われる。
 ちなみにこの地域では、行動援護はスタートしていない。事業者がひとつもないからである。近隣にも全くないと思われる。改めて書くが、サービス提供責任者の要件をすんなりと満たせるのは、大きくて歴史のある法人だけであろうから、新興のNPO法人は苦しい。うちの場合、来年10月時点でかろうじて自分がサービス提供責任者として認めてもらえるかどうか、というところ。私的契約でサービス提供をしていた時期を考慮に入れてもらえると、来年10月でちょうど5年。ただ任意団体で事務所さえ持たなかった頃を1年半も含んでおり、今と比べると利用実績が極端に少なかったので、厳しいかもしれない。
 自立支援法は与党による修正だけで成立しそうだが、行動援護の今後については政省令がカギを握るのだろう。ただ、国会審議の様子を踏まえると、あまり期待はできない。この地域の福祉課は、昨日の親の会との懇談の場で「移動介護が市町村事業になっても、必ず現状のサービスは維持する」と説明したらしいが、それを実現しようとすれば、市町村にはかなりの予算確保が必要になる。国は再三にわたって「現在の移動介護ではできない集団での外出ができるように市町村事業にした」という説明をしているので、下手をすると個別の外出なんて認めない(=「個別じゃないと外出できないという人はきっと重度なはずだから、行動援護で外出しろ」=「行動援護が認められないぐらいなら、きっと軽度なはずだから集団で外出しろ」)なんてこともありうる。サービス利用の単純な存続維持という点で言えば、市町村事業となった移動支援にどのくらいまで市町村裁量が認められるかが大事になるだろう。ただし、それは事業者の存続とは別の次元の問題でもある。
 行きたいところに行きたいときに行く、という当たり前の自由が確実に脅かされようとしている。もはやこの国の福祉がノーマライゼーションを目指しているなんて、口が裂けても言えない。