泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

後発の悩み

 今日は、ガイドヘルプやボランティア面接など。長く電車に乗っていた。
 なぜだかここ数日、閉塞感がある。やらなきゃいけないことはこなせているが、もやもやして無理がきかない。暑さのせいだけでもないような気がする。
 たぶん自分だけではどうにもならないことが多すぎるのだ。そうはいっても、一気に政策論に飛躍するつもりもない。むしろ現場レベルで気持ちのある人間が少しばかり増えれば解決されるはずのことが解決されないのがじれったい。積極的に変革に関わろうとするのか、全く関わりあいをもちたくないのか、はっきりしない人が多いことも苛立たしい。向こう1年半ぐらいの間に制度的な状況が激変するとわかっているのに、どうしてみんなそんなに受身なんだろう。
 ニーズに対して地域全体で応じていくためには何が必要かということを考えてあれこれ提案したり検討を求めたりしているのに、相手は何を大事にしたいと考えているのか。理念が見えない。ただ自分が生活していくために無理なくのんびりと仕事をしていきたいとでも思っているのだろうか。それなら、こんな仕事辞めて、他の仕事したらいいのに。今の障害者支援の置かれた状況を考えるに、そのイメージは実現しえない。いや、ものすごく優秀な人ならどうかは知らないけど。
 そんなに難しい話はしていない。人的資源を量的にも質的にも育んでいかないと地域全体が大変な事態に陥いるということが中長期的にわかっているのだから、うちができることを提案して、必要な協力を頼んでいるだけだ。相手にとっても、長い目で見れば決して悪い話ではない。いったいどうしたいのか。
 それでも「もういい。勝手にやる」というわけにはいかないのが、苦しいところなのだが。何もないところに新しいものを作るのは強い信念と技量が必要だが、一方で独占状態の中でやりやすい部分もある。すでに何かあるところで新しいものをつくるのは、既存のものを活用することができる反面、それにとらわれることにもなる。どちらも楽ではない。