泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

障害児支援を生業とできるか

 学齢児向けの福祉サービスというのは提供時間が限られている。障害児のガイドヘルプは典型だけれど、これは障害の有無に関係ない。学童保育所だってそうだ。結局のところ、学校が終わった後か、学校のないときしかニーズはない。
 平日ならば、1日のうちの夕方数時間の支援になるとはいえ、必要不可欠である。が、直接のサービス提供をしている時間としては短い。ここが弱みとなり、運営は非常に苦しくなる。給与の手取り12万円代だって、珍しくはない。ちなみにうちも職員2名とも12万円代で働いている。もちろん生活は楽ではない。
 「直接のサービス提供をしている時間は短いけれど、大事な仕事だ。他にもやらなければいけない仕事だって、たくさんある」というのは簡単だけれど、それは訴えとしては有効でないようだ。一方にはもっと長時間のサービス提供をしながら、同時に関連業務をこなしている人がいるのだから。例えば、高齢者のホームヘルプサービスをしている事業者などがそうだ。運営モデルが自分たちとは全く違う。
 ならば、障害児支援の事業者を経営的に安定させていくには、いったいどうすればいいのだろう。限られた時間帯のうちにとにかく量をこなせということか。あるいは、全く別の事業も行えということか。前者を実現しようとすれば、同時間帯に多くの支援をしなければならないのだから、アルバイトが大量に動くことになり、職員は過酷な需給調整に追われる。たくさんの正職員の雇用は難しい。後者を実現しようとすれば、組織が本来のミッションとして掲げてこなかった部分に経営論主導で手を伸ばさなければいけない。何らかの強い思いをもって事業を進めているところなら、これは抵抗感が強いだろう。
 自分の法人は、今、前者に傾きつつある。はっきりいって障害児の支援について、これから政策的に明るい材料は全くない。参入してから、はしごを外されたという思いは強くあるが、それを今さら言ってもはじまらない。目の前の状況には対処しなければならない。ガイドヘルプに関して言えば、学生ヘルパーの養成と需給調整をどれだけ効率的に進めていくことができるか、について、もっと業界内で情報交換があってもいいんじゃないか。もちろん支援の質が保たれることを大前提として。
 そうでもしないと、本当にやっていけない。支援費制度開始からわずか2年。もはや愚痴にしかならないが、当初の制度的見通しは全く違っていた。だまされたようで、ただ空しい。