泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「発達障害」概念は必要か?

精神医療〈no.49〉特集・発達障害という記号

精神医療〈no.49〉特集・発達障害という記号

 特集テーマは「発達障害という記号」。
 「発達障害」概念が急速に広まった社会的文脈を問い直したい、という動機は、わかる。「発達障害者」と「定型発達者」の間の連続性を指摘する意図も、わかる。共感も、できる。ただ、現状として「発達障害」という概念を用いることなく、本当に必要な支援を得られるだろうか。「私たちはみな連続的だ」という主張は、「私たちの間には支援の必要度の違いしかない」という主張にも結びつく。程度の違いでしかないはずなのに、誰かが支援され、自分が支援されないことを妬む者はたくさんいるだろう。私たちと区別されているからこそ支援に対する社会的合意が得られるのだとしたら、こうした歪みこそが修正されねばならない。しかし、どうやって?