泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

当事者の「知られたさ」について

 彼にとっては心地よい感覚の得られる行動であり、同時にコミュニケーションの手段のひとつでもあるのだろうが、世間ではとうてい認められる種類のものではない。外出時は特にダメだ。レストランでウェイトレスに悲鳴をあげさせたこともある。
 でも、家と作業所ではあたたかく認められたり、楽しく反応されたりしているようなので、外出時だけ制止されたり無視されたりするのは当然納得されない。そして激昂する。こちらの生傷も増える。替わる行動を探ってはみるが、なかなか見つからず。今日のところはしぶしぶ納得してくれたようにも見えたが、次回はどうか。
 我々が生きる社会は、誰かによって自分の暮らしを包括的に把握されることを強制されない。居場所が変われば「そこでしか見せない自分」がいる。それで問題がない。だから、他の場所や人がどうあれ「うちではこれでいいじゃん」という支援の理念も現れうる。
 支援者は何をどこまで知っておくべきなのか。共有しておくべきなのか。裏を返せば、彼らは「何をどこまで知られたいのか」「どこまで皆で共有しておいてほしいのか」。残念ながら、重度の「知的障害」を持ちながら、それを語れる人は極めて限られている。限られているから、どんな価値観も言い訳も外部から簡単に挿し込まれて、彼の生活への無関心も侵犯も正当化されてしまう。
 それでも、彼の中で自明とされているルールがそのつど周囲によって壊されていき、かつ何の新しいルールも見えてこないという体験のおそろしさは想像してもよいのではないか。我々の生活が社会学的な意味での「制度」によって支えられていると思えば、彼にとっての「制度」を皆で共有して構築していくことが必要であり、それは支援者による侵犯にもあたらないのではないか。
 実際のところ、支援者はもっと知りたがるだろう。どのような制度が彼にとって立ち現われているのかは、文脈を追わなければわからない。だから明瞭な線引きは難しい。せめて「なぜ知りたいのか」に支援者は自覚的であろう、ということ。