泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「やりたくない」

 法人での療育開始からおよそ1ヶ月。
 こちらに来るようになってから何かができるようになったりしても、それが療育のおかげだなんてことは軽々しく言えることではない。子どもは成長していくものなのだし。
 それでも、今まで使っていなかったツールを使うようになって、家庭でも自分の意思を伝えることができるようになった、というような話がたくさん聞かれるのはとてもうれしい。
 言葉をたくさん持っていても、やりたくないときに「やりたくない」と言うのが簡単じゃない子どもたちの存在にたくさん触れられたのは、自分にとってよい勉強になっている。
 「できる」ことにばかり価値を置き、「できない」ことを「できる」ようにしようとする努力は、しばしば批判される。しかし、自分の意思や気持ちを伝えることができる力の重要さはかなり否定しがたいものであろう。
 「やりたくない」カードや表情カードを、うれしそうにつかいこなしていく子どもたちを見ながら、幼稚園や保育所でいったいどれほどの無理をしているのだろうかと考えさせられるのだった。
 そして、せっかく「やりたくない」が言えるようになっても、その「やりたくなさ」の背景が周囲に理解されなければ、集団生活の場ではおそらく叱責されて終わりである。はたして小学校の技量はどんなものだろうか。