泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 全員分のアセスメントを終了して、すべてのデータをとりまとめ、グルーピングをして、プログラムの内容をほぼ確定。濃密な2週間だった。
 就学を控えた子どもたちやその母親たちとたくさん出会って、ずいぶん世界が広がった。どれほどこの地域に課題が山積しているのかもわかった。
 そして「特別支援教育になって、支援学校や支援学級に行く子どもの数が増えている。特別支援教育は分離や排除を正当化するために使われているのだ。」という、国の中央でももっともらしく叫ばれることのある主張が、発達障害に関しては、ほとんど的外れであることもよくわかった。まあ、いくらか予測はしていたけれど、もうここまでくると確信に近い。
 ずいぶん昔、学生の頃に「統合教育」に魅かれたこともあった。しかし、素朴な統合論者にはもう戻れそうにない。ピントのずれた特別支援教育批判を放置して、迷惑をこうむる人たちが出ないようにするためにも、いずれは考えをまとめて書きたい。まあ、ここに書いたところで、何がどうなるものでもないだろうけれど。何もしないよりはマシだと信じる。
 「分ける」暴力が「差別」だと思ってきたが、何がなんでも「いっしょにしようとする」暴力は、理論的に何と呼んだらいいんだろう。