泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 みんなつらい気持ちは同じだからと慰められ、少し精神的にマシになって、2日ぶりに食事が喉を通ったと思ったら、貴重な支援者の家族に不幸があり、来週のシフトが一気にひっくり返った。自分が月曜から金曜まで毎日朝から学童。本当にギリギリの調整。これでもうひとり誰かの身に何かあったら、全く4月上旬の見通しがもてない。
 12月ごろから進めていた物件探しは、ようやく少し目処が立ちつつある。いろいろな使い方ができそうなところなので、このままうまく事が運ぶとよいのだけれど、まだいくつかクリアしなければいけないことがある。これから夏までに関係諸機関を巻き込み、膨大な議論を積み重ねなければならないだろう。本来ならば、この地域の将来に向けて希望に満ちた話であるはずなのだが、今はまだ気持ちが高ぶらない。長期休暇つらい。
 行政関係の異動はあまりなく、残ってもらわないと困る人は、全員残った。その点でのダメージは小さい見込み。ただ、学童はまた様変わりである。事業開始以来6年目までに、いっしょに仕事をしてきた行政雇用の嘱託指導員はくるくると入れ替わり計19人、それにアルバイトが多数。ほとんどの学童で毎年半分以上の指導員が入れ替え。もう「地域」でやっていくことの難しさとして、割り切れない。これは苦しまなくていいことで苦しめられているのではないか。