遊ぶことの哲学、について聞く
年間に700回ぐらい講演等をやっているという人を呼んで講座を開いたにも関わらず、代表の自分がその話を聞けずに学童保育所に入っているという悲しさ。面白かったらしい。聞きたかった。悔しい。
終わりがけにかけつけることができ、ご挨拶だけはできた。子どもにとって、人間にとって「遊び」とは何か、について語る姿はもはや哲学者のようであった。この人は商売人で営業も兼ねて講演しているはずなのだが。突き詰めて考えていくと、入口はどこからであっても、出口は哲学的になるということなのだろうか、と。
自転車でたくさん走ったので、疲れた。おやすみなさい。