泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

[ニュース][社会福祉]母子加算廃止

生活保護費、母子加算3年で廃止 厚労省方針
http://www.asahi.com/life/update/1130/003.html?ref=rss

 厚生労働省は29日、国費ベースで約2兆円の生活保護費を来年度予算で400億円削減する方針を固めた。一人親の家庭の給付に一律上乗せしている「母子加算」を3年で段階的に廃止する。
(中略)
 母子加算は、15歳以下の子どもがいる一人親に支給している。子ども1人の場合は月額2万20〜2万3260円で、居住地によって異なる。母子加算の対象になっている世帯の生活保護費は、一般母子世帯の最低レベルの所得層と比べて消費支出が月に5万円ほど高いと指摘し、「現行の母子加算は必ずしも妥当であるとは言えない」と判断。ただ、母子加算廃止で急な収入減になる影響を避けるために、3年かけて段階的に減らす方針だ。
 母子加算は現在、約9万1000世帯に支給されており、そのうち半数の親が働いている。親が働きに出ることで外食費や保育費などが別途かかるため、母子加算を廃止する代わりに、こうした費用を賄う支援制度を創設する。仕事に就いている親だけでなく、資格取得のために就学中の親にも支給することを検討しているが、支給額は現行の母子加算よりは低くする。

 このような単純な比較は誤っているから母子手当は削減すべきでないと、後藤玲子さんが潜在能力アプローチに基づいて訴えておられたにもかかわらず、無視されたようだ。廃止のかわりに支援制度を創設する、というあたりがせめてもの配慮ということになろうか。
 後藤玲子(2006)「正義と公共的相互性 −公的扶助の根拠−」『思想』2006年3月号より引用。とても丁寧に論を進めておられるので、部分を抜き出すとどうしても無理があるが。

 はじめに観察されるのは、非受給低所得母子世帯の生活の厳しさである。例えば、ディーセントな住環境(物音、日当たり、風通し・湿気、雨漏り、すきま風など)を充足している世帯の割合は、他世帯に比べて極端に少ない。新聞・雑誌購入、献立の品数、住宅条件(専用トイレ・洗面所・浴場・寝室の有無)、洋服の購入、学校行事への参加については、生活保護母子世帯と比べても少ない。また、休日や夜間などの不規則労働や摩擦の多い職場環境を体験した割合が圧倒的に多い。さらに、「毎月赤字・ときどき赤字」という回答が全体の八割を占めており(子どもが有る低所得世帯は一般に高いが)、金融資産の保有、生命保険・障害保険に加入している割合は低い。(中略)
 他方で彼女たちは、子どもを通じた社会関係、友人や親族、近所などとの協力関係や未来志向的な活動が比較的豊かであることが観察される。例えば、子どもの誕生会、読書(本・雑誌)、カラオケ、手紙、ドライブ、インターネットの利用、携帯電話の所有などを充足している世帯の割合は高い。また金額は少ないものの、ほぼ半数の人が少なくともときどきは貯蓄をしている(ときどきは貯蓄をする子ども有世帯一般の平均は65.5%)。子どもの進路についても、大学・短大までの進学を希望している世帯の割合が高い。職場関係者とのつきあい、親身に相談に乗ってくれる人をもつ割合も高い。
 続いて、生活保護受給母子世帯に視点を移そう。生活保護受給母子世帯の居住条件・住環境も、ともに厳しい。十分なふとんの数、晴れ着・礼服の所有状況、インターネットの利用状況、子どもとの外出、子どもの誕生会、おせち・初詣・松飾りなどを充足している世帯の割合は、極端に低い。また、解雇された、あるいは雇用を拒否された体験をもつ世帯の割合は、断然、低所得母子世帯よりも大きい。その一方で、(平均世帯人員数が低所得者層母子世帯よりも多いことも一因であるが)、食料・住居、光熱・水道、家具・家庭用品、被服・履物に関する消費支出水準は低所得母子世帯を上回っている。教育費および交通通信費に関しても、低所得母子世帯に比べると少ないものの、他の生活保護受給世帯に比べると飛び抜けて高い水準を達成している。
 また、生活保護受給世帯は一般に、短大・大学まで子どもの進路を考える割合は低いが、低所得層母子世帯と生活保護受給母子世帯の差は歴然としている。(中略)
 さらに、生活保護受給世帯は一般に、親族のつきあい、近隣とのつきあい、職場関係のつきあい、それ以外の人とのつきあいが存在する人の割合、また、相談に乗ってくれる人が存在する世帯の割合が低い。とりわけ生活保護受給母子世帯と低所得母子世帯の格差は大きい。
 以上より、結論として、次の諸点が指摘される。生活保護受給母子世帯の消費水準が低所得母子世帯の消費水準を下回っているという事実は、彼女たちが「健康で文化的な生活」を享受していることを示すものでは決して無い。なぜなら、第一に、参照点とされていることを示すものでは決してない。なぜなら、第一に、参照点とされている低所得母子世帯の消費水準それ自身が「健康で文化的な生活」を維持するうえで、十分とはいえないからである。第二に、アマルティア・センが主張するように、財やサービスの消費金額、あるいは、本人が主観的に捉えた生活程度や「満足感」は、いずれも「健康で文化的な生活」を捉える指標として、十分とはいえないからである。これらの点についてより詳しく検討しよう。
 低所得母子世帯には、通常、必需品と考えられている財やサービスの消費を量的に、あるいは質的に抑制しながら、むしろ、通常、選択項目と考えられている子どもを通じた社会活動、自分や子どもの将来への投資に、所得や時間を振り向けようとする傾向がある。それに対して、生活保護受給世帯には、通常、必需品と考えられている財やサービスに関しては、低所得母子世帯よりも高い消費水準を実現する一方で、社会活動や将来設計に向かう支出を抑える傾向がある。その主要な動機は、社会活動や将来設計に向かう支出は、一般に必需品と考えられていないからであり、必需品と考えられていないものへの支出は、社会的な抵抗感を強く伴うからである。(中略)
 低所得母子世帯は、「ディーセントな衣食の充足」機能の達成可能性はより低いものの、「社会活動・将来設計」の達成可能性はより高い。生活保護受給世帯はその逆であり、しかも、目に見えない社会的抑制(social inhibition)のせいで、「社会活動・将来設計」の達成可能性は、本来よりも、大きく削がれている。
 このような両者の対照は、「自立」の観点からも注目される。「自立」は、その社会的基盤として、安全でディーセントな生活、心身の健康の他に、安定した生活設計、生涯を見通したプランニング、リスクに対処する活動や将来に対する投資活動、さらにはさまざまな人間関係を通して展開する社会活動を必要とする。必需品の消費以外の活動を制約された生活保護母子受給世帯の現況は、たとえその自己評価(「生活程度」や「満足感」)がより高めであるとしても、社会活動や将来設計を行うための初期条件の不足−補足性の原理のもとで消費し尽くすことを要求された資産・労働能力・私的扶養−を挽回するどころか、加速していく結果になりかねない。

 これだけ詳細に検討しても政治の中で同意されないとなると、いったい研究とは何だろうか。