泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 第4章「福祉『資本主義』の新展開」。
 新自由主義的な日本型福祉社会論の登場。それは「福祉国家を原理として攻撃する哲学や理論を持たなかった(108ページ)」。一方で、国家内過程に目を移せば、大蔵省の財政硬直化キャンペーン(財政合理化)と、厚生省の目指す社会保障政策そのものの合理化は、社会保障支出の抑制という点において一致。厚生官僚が、政策を評価する基準として再分配効果の分析よりもコスト・ベネフィット分析を重要視するようになり、受益者負担を強調しはじめたことで、社会権としての社会保障が否定される。この章の要約は、最後の一文につきる。「日本型福祉社会論を目指すイデオロギー運動と政策合理化運動、この二つの異なる文脈で展開された福祉資本主義再編への動きは、財政危機を契機とする行政改革のなかで統合されていく(122ページ)」。
 「グループ1984年」による怪しげな反福祉国家「論文」に経団連の土光会長が感銘を受けたくだりとか、なんだか情けない気分になる。「ローマ帝国の没落」とか「英国病」とか、因果関係のはっきりしない事例から人が安易に学んでしまうのはどうしてなんだろう。それでも、1970年代後半において福祉見直しが抑えられたのは、選挙をおそれた自民党の慎重論のため。最後の最後はやはり政治か。