泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

それでも行政に頼ればよい 

 隣接する地域で学齢児の保護者が集まって、卒業後の日中活動の場づくりを目指して準備をはじめている。すでに場所も借りており、家賃も払っていかなければならないので、まずは学齢児の放課後ケアからはじめていきたいと考えているらしい。そこで「どうしていくのがよいか」と相談が舞い込んできた。すでに「見切り発車」してしまった後だとも言える。
 回答にすごく困る。そこの自治体行政は障害者福祉に熱意がなく、支援費の支給決定も極めて低水準である。その地域に暮らす児童に対して支援費支給が決定されているサービスをすべて実施しても、職員1人の人件費にもなるかどうか。将来的に雇っていきたいと考えている人材がいるわけでもないようだ。
 制度外のサービスを高い料金設定でやっていくのもひとつの方法ではあるし、ひと昔前のことを考えれば、そんな事業者も確かにあった。今でもそれだけやっているところはあるし、高い評価を受けているところもある。しかし、支援費制度が開始され、比較的安価でサービス利用が可能になった今では、かなり特異な条件のもとでしか成立しにくい事業形態である。おそらく普遍的な仕組みにはなりえないだろう。
 公費に頼りすぎず、自主財源の比率が高いNPOをやたらに評価したがる人がしばしばいるけれども、そんな手法を障害者支援のNPOが強いられる理由はどこにもない。公費に依存すると、行政からの自立性が保てなくなるかのような教科書的説明も、現場から見ればあまりに単純である。良識のある行政と良識のある民間の間ではそのような関係にはならない。公費に依存するということは、行政から一方的に施しを受けているということではないからだ。「協働」とか「パートナーシップ」が盛んと言われるが、多くの理想的な支援は昔からそれを実現している。
 結局、行政の熱意がないところによい支援体制はできない。民間の力だけで成功した事例があったとしても、それを可能にした諸条件は詳細に検討する必要がある。さもなければ安易に「民間の独力でも創意工夫すればできるのだ」「福祉の人間は、すぐに行政に頼る」「世間知らずで、ビジネスセンスがない」などと言われることになりかねない。これは多くの事業者にとっても、障害者支援全体にとっても、非常に迷惑な話である。
 なんだか最初の話からひどく脱線してしまったが、ただ地道に行政や利用者との信頼関係を築きながら質の高い実践を続けている団体が、この業界らしくない「派手な」実践をしている団体と比べて評価されない世界があることにしばしばうんざりするので、書いてしまった。わかる人にはわかってもらえるだろうが、どうだろうか。純粋に福祉業界だけ見てきた人にはわかりにくい問題意識かもしれない。
 さて、自分の仕事はと言えば・・・養護学校が短縮に入ったため、これから長時間ケアが続く。気がつけばお盆まで利用依頼がびっしり。帰宅も遅くなりやすい。体力勝負だ。