泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 ガイドヘルプ。怪しげな募金団体から声をかけられる彼。回避して、検索してみたら、実際怪しげなことで有名な団体だった。
 夜、事務所に戻ると、ハエだか羽アリだか何だかよくわからないものが大量発生。デスク上を堂々と動き回り、全く仕事にならないので早めに帰宅。都会育ちだったはずの自分は、どうしてこんな田舎で仕事をしているのだろうか。何を今さら。

回想

 調べものをしていたところ、ふとしたことからマルコポーロ事件が95年1月だったと知る(もう今の若い人は知らないのだろうなあ、と思い、ますます年をとった気分になる)。阪神大震災と同時期。2か月後に地下鉄サリン事件。自分は95年4月に大学入学。
 子どもの頃から、家の購読していた朝日新聞父親の買ってきた週刊文春を読んで育つという健全なのか不健全なのかよくわからない環境にいながら、全体として保守的(中二病的?)な性質を強めていた自分が、大学入試の直前に精神の変調に苦しみ、入学後にボランティア活動に従事しながらやや左傾化していった経緯は、多様な文脈の中で説明できうるのだな、と思った。ちなみに今は朝日も文春もまったく読まない。購読紙ゼロ。
 そして、マルコポーロ事件に関わる論争というのは、インターネットが普及したいま読み返すと、言論や表現がほとんど新聞・テレビ・雑誌でしか存在しえなかった時代背景を表しているよなあ、とも。いま同じようなことが起きたら(そもそも起きないだろうけれど)、どのような結末になるのだろうか。