泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

気分転換というけれど

 気分が沈んでいるときに、何かをして、気分が前向きになれたことがない。
 問題に向き合わずに過ごすあいだにも状況はますます悪くなっていく。たとえそれが半日であっても、数時間であっても、そう思う。
 今日はシフト上の休みだったので精いっぱい気分を変えようとした。職場にもなるべく足を運ばないようにした。ずっと問題が頭にへばりついている。だからといって、仕事したいかと言われれば、疲労感も強い。ただ職場にいる時間を短くするだけ。
 「どうしたらいいか」「どうするつもりなのか」と問われるばかりの人生をあとどのくらい送り続けるのだろう。各自が望むような働き方や生き方を認めながら、そこで生じるひずみを自分が回収してきたつもりだったけれど、もうそれも限界のように感じる。
 事業は増えたし、スタッフの数も増えているのに、まったくそれがプラスに転じない。属人化した仕事から抜け出そうとしないかぎり、組織としては柔軟な危機対応ができない。わかっている。わかっているし、口を酸っぱくして言い続けているつもりであっても、変えられないのは自分の力の無さだ。
 自分の力のなさを責めても、何も変わらない。そのつど、奮起しては自分なりにアクションを起こしてきたつもりだけれど、やはり変わらない。これを繰り返すと、ただ絶望感と孤独感だけが深まる。
 もうすぐ13年目に入る。法人への社会的信用はどんどん高まっていると思う。しかし、実際は砂上の楼閣。つらい。