泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

コンサルからDMが届く福祉

 先週末に事務所のポストを開けると、透明のビニールに包まれたA4サイズのDMが。捨てるのにビニールと紙の分別だけしようと封を開けて、手が止まる。
 ついに障害児を支援する「放課後等デイサービス」の起業や経営改善を促すセミナーの案内がコンサルから届く時代となったのだ。半日でウン万円。ちなみに場所は東京。こちらは関西某所である。受講には合計いくらかかるのだろうか。
 ご丁寧にも短めのレポートがついている。もちろん事業の社会的な価値も伝えているものの「うまくやれば儲かりまっせ(大意)」とアピール。単なる「預かり」ではなく、「療育」で付加価値をつけて、他事業所と差別化していくことの重要性を説いている。
 ああ、このようにして当事者のニーズから学ぶのではない事業所が増えていくのだな、と思う。
 まだ利用者がひとりもいない状態であるのに、毎日の「プログラム」を強調したり、パンフレットのビジュアルがとてもきれいだったり、妙に「ああ、これは保護者が食いつくのだろうなあ」と思える事業所はたくさん知っている。きっとこうしたところで知恵を授かっているのだろう。
 そんなDMを自法人の職員にも見せてみたところ「当たり前のことですよね」という反応だった。障害をもつ子どもの支援といっても、小学1年と高校3年では全く求められるものが違うに決まっている。保護者の就労に伴って毎日利用するところもあれば、緊急時に使いたいと言うところもある。習い事的なプログラムを求める保護者もいれば、療育とか訓練的な意味合いで利用させたいという保護者もいる。それは、ひとりひとりの子ども・家族と信頼関係を築き、きちんと暮らしのアセスメントをしていけば、それぞれの地域で自ずと見出されてくるものだ。
 それをこんな形で第三者から教わって事業化しようとする人たちが増えていくことの帰結は何だろうか。きっかけがどんな形であろうと、事業所は増えるのだろうし、長い目で見れば質も高まっていくのかもしれない、というのが楽観的な見方だ。
 ただ、地元の現実を見る限り、一定の利用者が容易に確保できる状態であるためか、事業所の質はまったく高まっていない。子どもが荒れて利用を辞めたとしても、すぐに補充がかけられて埋まる。行動障害が重く、対応に高いスキルがいる子どもを受け入れても、なんとなくどんな環境でも身を委ねて過ごせてしまうような子どもを受け入れても、報酬は同じなのだから、「差別化」「高付加価値化」は表面的なもので十分である。極論すれば「療育やります」とだけ言っておけば、今はまだ「お客さん」が集められてしまう時代である。
 すると、中途半端に事業所の数だけ増える状況はまだ続くのだろう。一方で、はっきりと「利用拒否」の意思表示を行動で示す子どもや、支援者のスキルや理念の弱さを感じ取ることのできる保護者など、「事業所は増えているけれど、安心して使えるところはどこにもない」というケースは変わりがないのではないか、と思える。
 そして、保護者たちは「福祉サービス」の利用に早くから慣れて、相談支援の制度化もあいまって、支援へのニーズを表明できるようになっていくものの、放課後等デイサービス以外には使えるものがないのだから、特定の事業者に採算のとれない支援や難しい支援への期待がますます集中していくことになり、それはまさにうちの法人のような事業者のことであり、全国の同じような境遇の事業者の皆さんには心から同情したい。おつかれさまです。