泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「おそれを知って、できなくなる」という成長

 「できていたことができなくなってしまうこと」は、一般にはあまり肯定的に捉えられない。
 なぜできなくなったのか。およそ人間の能力というのは若いあいだ、伸び続けるか、せいぜい横ばいであると思われていて、できなくなるのは「老い」や「障害」の負の側面と理解されているのだろうと思う。
 ところが、若いうちにも「できていたことができなくなってしまうこと」はある。障害をもつ子どもたちと関わっていれば、しばしば直面する事態なのだけれど、もっと普遍化することだってできるのかもしれない。「新たな体験へと踏み出していくことができなくなった」とか「挑戦する意欲がなくなった」とか言えば、多くの少年や青年にとっても耳慣れた話なのではないか。
 さまざまな脳機能の障害の中には、実際に「かつて獲得していた能力が失われる」ためにできなくなってしまうケースがあって、それを前向きにとらえていくのはなかなか難しいことである。しかし、そんな話ばかりでもない。
 発達障害の子どもと出かける。言葉での意思表示が難しいので、あれこれとツールを準備していくと次第に行きたい場所を示してくれるようになっていく。生活圏が広がり、活動内容にも幅が出てくる。ああ、子どもの生活が発展していく手伝いができているのだ、と支援者は思う。
 ところが、どんどん広がり続けていた選択肢を子ども自身が次々と切り落とし、うんと限られた活動内容へと還っていってしまうことがある。発達障害の支援業界ではこうした状態を「こだわり」だとか「パターン」だとか表現することが多く、「なぜこだわるのか」「どうしたらこだわらずにいられるか」に悩んだりもする。
 いろいろな理由を想定できるのだけれど、きょう自分が出かけていた子どもに関して言えば、「おそれを知った」のだと思う。
 認知能力が高まり、出かける先で起きる様々な変化を理解できるようになり、それがしばしば予測もつかないものであることに不安を感じられるようになったのだ。そして、わが身を守るために、大きく活動を制限して、自分が楽しめたり耐えられたりする範囲の変化しか起こらない暮らしに身を置こうとする。自分の適応能力を経験からなんとなく測れていった結果として「己を知った」とも言えるかもしれない。
 とても合理的な判断だと思う。もちろん、単純にそれでいいとばかりも言っていられないのが支援者の立場であるけれど、ひとまずこれは子どもの「成長」の証なのであって、悲観されることではない。何かを「できなくなる」のを発達の過程として理解しようとするのは、子どもや障害児の支援において嘘でも強がりでもなく、冷静な評価の形である。能力が高まったからこそ、できなくなることがあるのだ。
 では、おとなはどうなのだろう。
 親だって、支援者だって、子どもと関わることのない一般市民だって、経験から自分が近づいてはいけない領域を知り、かつては犯していたこともあるリスクを避けるようになっていくものだろう。それもまた「できていたこと(あるいは「やろうとしていたこと」)ができなくなった」のだろうが、誰かから設定された「課題」をこなすことを求められるときに、しばしばそのような賢明さは、自信の無さだとかチャレンジ精神の欠如として評価されて、成長ではなく停滞や後退であるかのように言われる。「自分にはできません」「無理です」と判断して表現することを大事な能力として前向きに捉えてくれる人は少ない。また自分自身もそれを肯定的に受け止めるのは難しいだろう。「自分に自信がもてない」ことに、また自信を失うという悪循環。
 自分に何ができるかをみんなが口々にアピールしあうよりも前に、自分に何ができないのかを「自信のなさ」としてではなく「自分の力を正しく理解できるようになった結果」として語れるようにしていくところからはじめたほうが、皆が生きられる社会や組織を作っていくには良いのではないかと思うのだけれど、どうだろう。
 苦手なことを期待されてばかりで苦しんでいる自分に対しても、つい「もっと自信をもって」と周囲に言いたくなる自分に対しても、当てはめて思う。