ひとのからだ
何も口にする気がしなくても、二日も経てば何か口にしたくなるというのはその程度の落胆でしかないということなのか。つらい記憶がいくらか薄れたのか。
いや、記憶は薄れない。忘れて済むことなどひとつもなく、対処しなければいけないのだから。人間の体がもつ生への執着がすごいのだろう。どれほど絶望していても、体は生きたがる。
さらなる苦境にも乗り越えなければならないが、何かができることでしか評価も信頼もされない関係に囲まれた生活というのはつらいものだ。支援者や法人代表である以前に人間であるのだが。愛のない生活とはこういうもの。