泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「子どもをテレビで試す」ことのリスク

 「探偵!ナイトスクープ」は放送されている地域とそうでない地域があるだろうけれど、今夜の放送を見ながらtwitter上の反応を見ていて、いろいろ気になったので書いておきたい。
 ナイトスクープそのものの番組内容はよく知られているだろう。視聴者からの依頼をタレントの「探偵」が調査して解決する、というスタイル。今夜の3本目は「うちの息子はどこまでついていく?」のタイトルで、番組サイトに説明文があった。

4歳の息子は社交的過ぎて怖いもの知らずで、すごく困っている。電車に乗れば誰にでも話しかけ、買い物に行けばふらっとどこかに行き、迷子と思われては係員の方に連れて行かれそうになる。とにかく、知らない人でも仲良くなれば、その人について行ってしまうため、一瞬たりとも目を離せない。放っておくと、この子はどこまでついて行ってしまうのか。子育ての決意と今後の参考のために、一度、安全な状況で確かめさせて欲しい、というもの。

 探偵はたむらけんじ。公園の砂場で母親が離れ、いろいろな大人から声をかけさせるが、確かに人なつっこく、誰にでも近づいていく。
 たむら自身が声をかけて、公園から連れ出す。母親から「名前だけは絶対に言ってはならない」と教えられているらしく、名前を聞かれても「3歳」とか「4歳」とか答えるのだが、警戒心はない。ふたりで歩き、電車に乗り、ついには船にまで乗ってしまう。
 島につき、お灸をすえようと探偵は子どもから離れる。しかし、港でひとり残された子どもは平気な様子で、泣くこともない。怖い思いをさせることで解決しようとした目論見は失敗し、結局、母親が登場して叱る。帰り道で「ごめんよ」と謝りはするが、重く受け止めているようには見えない。VTR終了。
 いろいろ心配してtwitter上の反応を見たところ、最も多いのはその子どもの容姿に盛り上がっているものだった(男の子だが髪の毛が長く、女の子のようにも見えるので「男の娘」だと)。それはどうでもいい。考えさせられたのは「親のしつけが悪い」「これを放送して誘拐されたらどうする」などの声がたくさんあがっていることだ。
 番組制作サイドとして「これほどまでとは」予想してなかったのだろう。きっと思い描かれていたのは、どこかの段階で子どもが大泣きして、「これできっとこれからは周囲の人間に対して慎重になるだろう、めでたしまでたし」というシナリオ。見事にスタッフの期待は裏切られたわけだ。通常のテレビ番組ならば、それも面白いハプニングで済ませられるのかもしれないが、今後も親子が地域で暮らしていくことを考えると、この結果は不安が残る。
 きっと親子の近くにも「しつけが悪い」と言いたがる人はたくさん出てくるだろう。そもそもそれでどうにもならないからテレビ番組に依頼しているにも関わらず、自分ならばもっとうまくしつけられると信じて疑わない人たちはいる。
 一方で「大変ね」と声をかけてくれる人も増えるのだろう。「大丈夫よ、だんだんわかってくるから」とか「うちも昔そうだった」とか、母親を励まそうとする人も出てくるかもしれない。それらの励ましが適切なのかどうかも、また難しい問題である。そのような励ましが救いにならず、かえって親を落ち込ませることだってある。
 誰にでもついていく子、としてテレビで長時間放送されたことは、悪意ある大人が近づいてくるリスクを高める。一方で、そのような特性がある子どもとして理解する大人が地域に増えれば、守ってもらいやすくなるのかもしれない。
 トータルで見た場合、今回の放送が親子にとってどのような結果をもたらすのか。単純には言えない。どちらにしても親子の生活に及ぶ影響は大きそうで、心配になる。ついでに言うと、最後に「親が出てきて、叱る」形で終わった対応も、子どもにとっては結局「親が迎えに来た」という理解につながりかねないので、あまりほめられない(とはいえ、あれ以上の怖い思いをさせることにも賛成しない)。
 あの親子の地元の子育て支援関係者は重く受け止めなければならないと思う。もちろん親子の生活の詳細はまったくわからないので、誰が責められるわけでもない。しかし、この相談に誰も納得のいく助言や解決策を提示できてこなかったという事実はある。面白半分に親がテレビに応募したのだから、とも片付けてほしくない。この放送を見て「親も心理的に追い込まれていたのではないか」と疑えないなら、子育て支援なんてできない。それを疑うのが支援者の仕事なのだから。
 そして、テレビ番組を作る人たちには、子どもをテレビで「試す」ことのリスクをしっかり感じてもらいたいと思う。子どものあまり好ましくない行動が「(悪い方向に)どこまでいくか」を試して放送することは、子どもの行動をますます強めてしまうおそれがあるし、そのような番組に登場した親への社会的反応を強く巻き起こすことにもなる。しかも、テレビは後に引けない。お蔵入りは避けたいだろう。
 ここで親を責めるのは簡単だが、親の想像力にだっていろいろあり、さまざまなレベルで支援を必要とする。身近な地域で「親子」それぞれの力に応じた支援がそのつど提供されるのが望ましい、という社会的な合意形成があれば、たぶん結果のわからないことを「テレビで試す」方法はとられない。
 書きながら「はじめてのおつかい」についても考えていたが、明日が早いので、もうこのへんで寝る。