泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

この国の「空き家」を駐車場にしないために

 もうどれだけ前から言及してきたのかもよく覚えていないが、子どもたちが過ごす「場所」について、ずっと地域でもがき続けている。
 数年にわたって場所探しをしてわかったのは、「少しばかりの改修で、子どもたちにとって居心地のよい環境となるような物件なんて、ない」ということだった。おかげで大きな金額の確保を求められている。全国どこでも同じ状況であるかどうかは断言できない。ただ、地方自治体ごとに定められる都市計画や条例を除けば、建築基準法や消防法など同じ法律に縛られることに違いはないから、似たような苦しさを抱えている地域は他にもたくさんあるだろう。
 子どもが放課後に過ごす場所でも障害者が家を出て暮らす場でも働く場でもよいのだけれど、福祉関係の法律に乗っ取って複数名が過ごすことになると、それは一気に「福祉施設」や「寄宿舎」として扱われるようになる。たとえ少人数であったとしても。
 さまざまな特性をもつ人たちがいっしょに生活するには、空間を分けなければいけない。オフィスや教室のようなだだっ広いスペースの中でいっしょに「暮らす」というのは快適さに欠ける。くつろげるための要素として「家庭的」である、ということが大事なのだろう。しかし、この「家庭的」とはいったい何のことか。難問だ。
 「家庭的な」環境を用意するには、それぞれによる「家」のイメージを引き継がなければいけない。デザインとしての洗練とか利便性の高さとは別のところで、使い込んだ家具とか、狭くても自分が好きに使っていい個室とか、テレビ見ながらコタツを囲んでゴロゴロできるような居間とか、「経験」「思い出」から喚起されるものなのだろう。誰にとっても「家庭的」な環境があるわけではない。それでも同じ国、同じ文化を生きる中で共有されるものは多い。自分が多く関わる自閉症児はそれぞれの世界や文化を強くもっているが、それでも家以外の場で「家庭的な」環境が与えられてリラックスする姿をしばしば見てきた。
 そんなわけで「家庭的な」環境で放課後の支援をやりたいと地元で場所を探してきた。一番考えやすいのは、「空き家」をそのまま使うことだ。しかし現実には、一般の住宅なんて全く使い物にならない。以下は、これから物件を確保して福祉事業をはじめようと思う人にとっての参考知識にもなるかもしれない。
 住宅であった建物を福祉転用しようとすれば、行政に対していわゆる「用途変更」をしなければならない。それには用途変更の申請とともに建築物としての検査済証が必要となるが、古くからあるような空き家はこの検査済証が発行されていないことがある。すると、アウト。どんなに他の条件がそろっていても、もう使えない。もちろん検査済であっても、この地震大国であるから、耐震性や耐火性はとても大事。
 それから「採光」。床面積の7分の1以上の大きさの窓が無ければ、その部屋は居室として使えない。最近は、前面がガラス貼りのようなテナントビルの一室で子どもを過ごさせている事業所も増えてきたが、そんな場所だと土木行政からの許可は出やすい。しかし、前の道から簡単に覗き込まれるような場所ではくつろげないと考えれば、窓の大きな建物を求めることになる。
 窓が小さいから大きくしよう、というのは構造上の問題もあるので、簡単にできるような話ではない。たとえ窓があっても、もちろん隣に建物があったりすれば、光はとれないのでアウト。もし隣が空き地でもこれから建物ができる可能性があればアウト。こうして、ひとつの建物の中でも使える部屋は大幅に制限される(用途地域や隣地境界線までの距離、建物の高さなどによって条件は変わるが、詳しい説明は割愛)。
 もちろんバリアフリーは必須。平屋で広い面積を確保するのは難しい、となれば、上に積みたくなるのは当然の発想である。しかし、2階も居室として使いたければ、当然エレベーターが必要。ホームエレベーターのような広さでは話にならない。最低でも車イスで回転できるくらいの広さはいる。シンドラー社のエレベーター事故などがあったせいで、安全面のハードルも上がっており、平成21年からはドアが開いたまま発進しないような装置(戸開走行保護装置)や地震のための安全装置が求められるようになっている。ほんの10年前に作られたエレベーターでもついていない。「用途変更」をすると、こういうのが問題にされる。このあたりは行政によって判断がばらつくようだが、「直せ」と言われる地域ならば、それだけで数百万円がとぶ。
 廊下やドアの幅や形状ももちろん決まっている。いま自分たちが求められている廊下幅は160センチ。車イスどうしがすれ違えるぐらいの幅。子どもの利用する場所にそこまでの広さが必要であるのかどうか大いに疑わしいし、建築基準法上も解釈が難しい条文にかかる部分だが、どこまで抵抗できるのかは微妙な情勢。地方自治体独自に定めている福祉のまちづくり条例が、さらに厳しい条件を課す地域もあるようだ。わが地元などは点字ブロックの設置などについても厳しい。
 さらに面積が広くなれば、二方向に避難できる経路が必要。10人や20人が過ごす施設ならば、簡単にこの面積基準も超えてしまう。もし2階建て以上ならば、避難用の階段をもうひとつ作れと言われる。その階段もらせん階段などダメで、広く面積がとられることになる。
 避難経路のそれぞれに防火壁も必要(熱や炎を感知して閉まるような防火壁を2つ設置したら、それだけで簡単に100万を超えていく)。非常灯や火災報知器はもちろんだが、最近の話題は「スプリンクラー」。高額で大掛かりな改修が必要だが、福祉施設での火災が起きるたびにどんどん規制が厳しくなり、グループホームなどはいよいよ広さに関係なく必要とされそうである。古くから使っている建物に追加で設置するのが難しいところは、「その建物を使うな」と言われはじめている。すると、現状ではもう新築するほかない。スプリンクラーをつけるために、新築して引っ越し。
 さらに都市計画法。地方によっては、都市化を抑制しようとした結果、福祉事業用の物件を建てられる地域が大幅に制限されていたりする。手ごろな物件が見つかっても、それが市街化区域外だとアウト。ケースによっては、法律上「例外的に可能」な場合もあるはずなのだが、「原則」ばかりを振りかざさず、福祉に前向きで熱意のある土木行政が必要。このあたりの地域では、難しい。
 福祉行政と土木行政が分かれているのも苦しい。福祉行政は用途について正しく理解していても、土木行政は福祉制度のことなど何もわかっていない。障害福祉はめまぐるしく法律が変わっているのに、建築基準法等の文言はそれに対応できていないため、思いがけない解釈を招く。おととしはこの解釈でもめて、事業所の指定が数か月も遅れた。そのせいで求人をかけるのが遅れたり、多大な迷惑をこうむった。きちんと法律を読み込んで抗戦しないと、担当者に言われるがままで流されていくと余計な規制まで課されてしまう。
 ずいぶん長くなったが、要するに「家庭的な」環境を福祉に求めるのは極めて難しくなりつつある、ということ。その理由は一にも二にも、利用者・居住者の「安全」のためである、と言える。そう言われると「ぐぬぬ」となるわけだが、すっきりはしない。実際、市町村事業として行われる事業の場所などは何でもありだったりする。うちが「日中一時支援事業」という市町村事業で使っている場所はバリアだらけだが、どこからもお咎めはない。いったい誰のための「安全」なのか、とも思う。おそらく認可した都道府県の責任を問われないための「安全」なのだ。
 そのような中、愛知県が画期的な案を打ち出した。関係者のあいだでは少し話題になっている。
既存の戸建て住宅をグループホーム等として活用する場合の取扱い(案)に対する意見の募集について
http://www.pref.aichi.jp/0000065776.html

 内容としては要するに「グループホームについて建物の規制を厳しくするのではなくて、防災や避難対策のほうに力を入れる方向に転換しよう」である。パブリックコメントの募集は明日で終わる。おそらく愛知県に限らず、各地の福祉関係者から賛同の声が多く寄せられていることであろう。
 自分が暮らしてきた家が取り壊されて駐車場になるのではなく、福祉用に転用されて、誰かに使い続けられることを喜べる人も世の中にはたくさんいるはずだ。高齢者でも障害者でも保育でも、地域に小さな場所の必要性は増す一方なのだから、このグループホーム規制緩和によって切り拓かれる展望は明るい。
 自分が関わっているのは、主に障害児の支援であり、グループホームと比べれば大人数が使う場所を作ろうとしているわけではあるが、それでも定員は10人である(障害児関係はこの規模の事業所が多い)。愛知県のような常識的な規制緩和が全国的にさまざまな領域で進むことを願ってやまない。