泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「少数派」がこれからの政治に向けてできること

 およそ想像通りの結果。前回の記事で書いた比例全国区の「質問主意書」提出者5人の方たちは全員当選していた。比例全国区は有名人でなければ、現職が強くなるだろうとは思うけれど、ひとまず「何らかの形で障害児者支援のために尽力した議員」に一定の票が集まったことは、自分の立場からすれば喜ばしい(選挙区のほうで「障害」関係者に落選を残念がられている議員はいる)。
 「障害者分野」が国政選挙の大きな争点に浮上することはこれまでもこれからもないだろう。社会保障の全体的な方向性に対するなんとなくのイメージ形成には関係するかもしれないが、単独で大きなテーマとして扱われるようになる可能性は限りなくゼロだ。
 そんな中で、個々の政党が障害者関連の公約を詳細にわたって掲げることは考えにくく、ましてや政権与党に近づけば近づくほど、具体的な目標は設定されなくなる。無難なことしか書かれない。しかし、だからと言って、現実の政治が何も「障害者」に影響しないかと言えば、全くそんなことはない。これから3年ぐらいの間にも個別の制度・サービスに対して変更は加えられて、当事者の生活や事業所の運営にも響いてくるはずだ。それに笑う人も泣く人も出る。選挙はしばらく無くても、政治は絶え間なく続く。
 ここから先は世間に知られることなく、社会的に大きな話題となることもない中で、水面下の攻防が繰り広げられることになる。もう、それは大部分の「障害者」やその関係者にとっては身近に感じ難い「運動」である。ロビイングとかデモとか集会とか、ほとんどの人々にとって無縁だ。
 運動に携わる当事者や支援者が誰にどんなメッセージを届けようとしているのか、それが伝わったのか伝わらなかったのか。ネット選挙は終わったけれど、水面下で繰り広げられる政治をリアルタイムで伝えていける可能性は、引き続きネットに残されているのだろうと思う。障害者分野に限らず、何らかの「生きづらさ」を感じた人々の関係者にはぜひ「見えにくい政治」について発信していただきたい。そして、その過程で味方をしてくれた議員の存在を明らかにしてほしい。与党でも、野党でも。そうした発信に対して、受け手がどんどんリプライを示していくことも「運動」にとどまらず「政治(議員)」にとっての励みになると思う。
 以前ツイッターにも書いたけれど、大ざっぱな数字として、障害福祉サービスの利用者が65万人で従業者は17万人ぐらい(※この従業者数は常勤換算)。介護保険の利用者は500万人で従業者が220万人、児童福祉施設保育所含む)の利用者は220万人で従業者が52万人。すべてを合わせたら1000万人を超える(児童は選挙権ないけれど)。もちろん、ここに含まれないが生活に社会的支援を必要とする人々もかなりの数に及ぶ。家族だってこれらの数字には含まれていない。
 「票につながる」と思わせることは現実的に重要であり、そのためには社会的に排除されやすい人々とその関係者が結集して、支持できる政党や議員を後押ししていくことが求められていくのではないだろうか。この業界の中にも支持政党はさまざまであるが、どこに所属していようが福祉に力を注いでくれる議員を増やさないことにはどうにもならない。