泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「悪魔化」される保守の内実

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

社会運動の戸惑い: フェミニズムの「失われた時代」と草の根保守運動

 この執筆陣で勁草書房から出る本とはどんなものなのだろうと思って、読んだ。
 フェミニスト保守系フェミニストは全国各地でどのように争ってきたか、保守による運動が成功した場合の要因は何だったか、過去の運動においてフェミニストたちに何が欠けていたか、などをいくつかの事例にかかわる当事者へのインタビュー等から明らかにしようとしたものである。「理論」とも「実証」とも違い、ドキュメンタリーの取材過程を読みながら追っていくような感じ。フェミニストが保守派の言い分に耳を傾けた貴重な記録でもある。
 保守派の運動戦略に注目することもできるし、「思ったより悪い人たちじゃなさそう」な語り口にイメージを改めることもできる。「敵対者」とどのように向き合うのか、は、自分が身を置く障害者領域でも同じように課題を抱えているだろう。では「保守派」に取材して、いったい何が運動の対立を招いているのか、を明らかにできそうな人がいるだろうか。かなり想像しにくい。
 「結びにかえて」で使われていた言葉を借りれば、やはり保守派は「悪魔化」されてきたと思う(念のために書くと「悪魔化」は相互に行われるものなので、保守にのみ向けられるものではない)。ここでいう「保守派」にどんな立場の人々を代入できるのかにも、さまざまなバリエーションが浮かぶが、どれをとっても「分離主義」や「既得権」や「パターナリズム」といった単純なフレーズで片付けて済むものでもないはずだ。
 障害者分野でも誰か同じような仕事をしないだろうか。と、いつも他力本願な自分を反省しつつ、このあたりの繊細さや複雑さは研究者よりも現場のほうが日々痛感しているのではないかとも思う。だからこそ現場とちょっと距離があるぐらいの人がするほうが、面白い発見を得られるのではないか。