泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 長く離脱してした。絶望感ただよう中で、ゆっくりと復帰。本調子にはほど遠いが、請求事務はしなければいけないし、時間が経てば経つほど、いっそう運営的には追い込まれる。どうにかできる気はしないが、どうにかしなければいけない。
 それはそれとして、今月はイレギュラーな仕事がふたつもある。
 ひとつは、生徒が「障害者」について調べ、自分たちには何ができるのかについて全校生徒の前で議論する、という某高校での企画。複数の高校生グループによるプレゼン原稿やパワーポイントファイルが次々と届く。たぶんネットで調べているのだろうけれど、ほとんどが法的・医学的な「障害」定義について調べて力尽きている(かつ資料の選択に問題があり、いろいろと間違っている)。強い隔靴掻痒感。深夜の校正作業。そして、いったいどこで見たのか国際障害分類に基づく説明が出てきたため、高校生に向けてICFをわかりやすく説明しなければいけない羽目に。
 参考文献を示さない統計の数字がばんばん出てくるので、いったい何年のどの資料を見たのか探り当てて確認するという厄介な作業。その過程で「精神障害者数」として国から示されている数字は『患者調査』をもとにしているから、知的障害も「精神遅滞」としてけっこう含まれていることに気づくが、仕事上の知識としては特に役立ちそうもない…。
 企画打ち合わせに参加したときには、出生前診断やインクルーシブ教育についての質問まで出てきて驚いた。うちの法人の学生スタッフよりもずっと勉強しているし、社会のありように関心が向いている。このような生徒ばかりならば、未来は少し明るい。
 もうひとつは地元の保育士への研修講師。主催者から過去5年分の研修資料をもらったら、発達障害についてはかなり話し尽くされていた。毎年同じ話ばかり聞きたくもないだろうし、医師や心理士の真似をしても仕方がない。さて、どうしたものか。