泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「それは一部でしかない」の無意味さ

 生活保護の「不正受給」についても、子どもへの向精神薬の投与についても、批判に対して「それは一部の問題であって、全体の問題ではない」という反論がなされやすいのだけれど、この論法は必ず失敗すると思う(このふたつの話題がその内容において似ていると言っているわけではない。念のため)。
 当然ながら、その「一部」に怒ったり、苦しんだりしている人々の理解を得ることができない。多くの場合、批判者は「それは全体だ」なんて主張をしていない。だから、たとえ意識的にやっているのでなくても「論点ずらし」のごとく理解されて、さらなる批判を招く。仮に「一部」が何パーセントであるのかについて具体的な数字を出せたところで、この状況は変わらない。
 では、どうすればいいのか、にまで踏み込んで書く気力は今ない。ひとまず適切な反論(というか「批判」への応答)の仕方を考えないと「生活保護はほとんど現物給付でOK」みたいな政治の暴走を止められる気がしないし、薬の副作用に苦しむ人々も救われない、と注意喚起したかっただけ。