泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「緊急」で失業者を雇って、その後はどうなるのか?

 「緊急雇用創出事業」と呼ばれるものがある。
 似たようなものとして「ふるさと雇用再生基金事業」なんてものもあって、細かい説明はWikipediaでも何でも読んでくれたらよいのだけれど、要するに「働く場を作るのに行政としてお金を出しましょう」ということである。多くの場合、各市町村が「うちの地域でこんなことをやりたい」と言って、都道府県に事業を提案するわけだ。それは行政自身が手掛けるものであったり、民間への委託事業であったりする。
 「雇用対策」と言っても、「雇用のために仕事を生む」のは本末転倒であり、「必要とされる仕事があって、雇用が生まれる」べきだ。だから「世の中から必要とされている(が、まだ生み出されていない)仕事」を知っている人たちからすれば、これはチャンスである。さまざまな支援を実施しているNPOなど、社会的なニーズを把握していれば、当然このお金を活用して新しい事業を起こしたいと思う。
 地元のNPOなどと良い関係を築けている熱心な市町村は、「やりたいことはないか」と聞くだろう。そして事業化に至る。「失業者」を雇わなければならないことになっているが、大事な仕事を「失業者」ばかりでできるはずがないので、実際は「失業者」以外のスタッフも関わることになるし、雇われる「失業者」の身分もかなりあやしい。単純に「安定した正職についていない」ぐらいの意味になっていると思う(例えば「ボランティアとして活動していた主婦」とか「大学院生」とかが働いているケースも多いはず)。実質的には「失業者対策」ではなく「社会的起業支援」の側面を持っている、と言える。
 一方で、やる気がない自治体だと「何か仕事作らなきゃいけねえよ、めんどくせえなあ」という感じで、一方的に事業を作ってどどーんと大きな委託料で払って終わらせてしまったりもする。出所は同じお金でも、有効にも無駄にも使える、そんな「雇用対策」である。
 しかしながら、あくまで「緊急」であるため、「ずっと」は続かない。ほとんどの事業について、今年度末で「雇用」は終わる。いま雇われている人々はどうなるのか。これが次第にあちこちで問題となりつつある。そして、この問題は、自分の法人にもあてはまる。
 社会的に必要な支援をしていくためにはじめたのだから、事業としてはずっと継続したいと思っている。あらかじめ雇用創出は年限付きとわかっていたのだから、その見通しの上に動いてきた部分もある。それでも「やってみなければわからなかったこと」というのもあるわけで、思った以上に金がかかることが明らかになった。で、苦しんでいる。
 新たに仕事を生み出そうという気がなく、もともと行政や民間でやっていた事業について「緊急雇用創出」をあてはめてやるような形なら、このような苦労は少ない。「新しいものを生み出そう」「潜在的なニーズを掘り起こそう」と熱心になればなるほど、生み出したもの、掘り起こしたものに対して責任を果たし続けなければならない。既存の制度では明るみに出せなかった課題を洗い出すことができたのに、事業の継続性が確保できない、となると、いったい何のために頑張ってきたのか、ということになる。
 そもそも「雇用対策」であるならば、1年や2年で終われる雇用なんて奇妙なのである。「失業者」を雇うのに、数百万円をもらって仕事をはじめて、1年や2年でその数百万円が自前で確保できるほどの甘い商売(支援)なんて、ほとんど存在しない(ちなみに緊急雇用創出全体の規模は4500億で、関連するものを合わせればたぶん1兆円を超える)。年限付きの雇用対策というのは、いったいどのような展開を想定していたのだろうか。数年のうちに「ビジネスモデルを確立させられるはず」ということか。それが失敗すれば、もう一度「失業者」を生むことになるのだが、それでよいのだろうか。
 はっきりいって無理やりに生み出された「雇用創出」もたくさんあるわけで、事業内容や成果を精査して、価値が認められるもの(で、ビジネスのような形では採算がとりえないもの)については各自治体で存続維持できるような仕組みをセットにして用意してくれればいいのに。そうでないなら、福祉的な事業について多額を要する緊急雇用なんて、はじめから認めるべきではないと思う。短期で終了できるはずがないのだから。
 地元自治体に予算要求はしてもらえたが、数百万単位の金について「どうなるかはわからない」「予算内示は1月下旬」と言われ、いま雇っている人たちに対しては次年度の見通しを一刻も早く伝えなければいけない、という苦境。ただ、しんどい。