泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

発達障害にはいろんな原因がある、の怖さ

発達障害のいま (講談社現代新書)

発達障害のいま (講談社現代新書)

 どう評価したらいいのか悩む本だ。
 精神医学におけるカテゴリー診断を反省的にとらえ、自閉症スペクトラム障害の「原因」を複合的に考える多因子モデルの知見を紹介する、ところまでは、良い勉強になる。診断名としての「障害」にこだわらずに発達の「凹凸」に応じて必要な支援をしていきましょうね、という姿勢も好感がもてる。発達障害と「知的障害」の併存の高さについての説明にも納得。
 問題は4章から。トラウマや愛着など虐待に関わる問題に議論を集中させていくことによって、3章以前とはまた違う意味で発達障害の他因子性が明らかにされていくのだが、そこで登場するケースの複雑さと精神疾患全般にまで及んでいく展開に触れていると、「発達障害」研究・臨床がとてつもなく多くのことを疑うように求めてきているように思えてくる。原因論にまで踏み込んだ場合、もはや「発達障害」とか「自閉症スペクトラム」に関わる実践は、広大すぎる領域を相手にしなければならないのではないかと。
 きっと杞憂であるのだろう。精神科医の仕事を自分たちが真似られるはずがないし、福祉や療育の現場でできることは限られたものである。ただ、観念としての「発達障害」はこれまで以上に複雑な意味づけにまみれていき、いっそう多様な語られ方をしていくに違いない。社会や子育てについて自説を補強するのに都合よく「発達障害の原因」を使うことだってできる。「他因子である」と言えてしまうことは、そのようなおそろしさも伴うだろう。
 だからといって、もはや単一因子モデルに戻ることもできそうにない。原因論の「使いかた」を考えなければいけない、という話。