泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

攻撃相手こそが味方であるのかも

 昨日は休みだったのだが、疲れ抜けず。明日と明後日は体力勝負。読んだ本の感想など書きたくても、気力なし。
 長時間ケアが続く中で、体の心配以外のことはせずにいたいのだが、こんなときにも精一杯やっている支援者を追い込んでいこうとする利用者というのはいるわけで、精神的な負担も増していく。みんなよく耐え忍んでいると思う。
 うちを追い込むように保護者を焚き付けている事業所があるのだ。
 事業所を複数使うような状況が増え、支援の理念や方法論が違えば、そんなことも起こりうる。丁寧な支援よりも量的な拡充こそが大事だと考える事業所だってある。自分のところの供給能力が落ちてくれば、他事業所の利用を増やすように仕向けていくこともあるのだろう。しかも、自分たちにとって都合がよいように。
 しかし、そのような一方的な思惑によって追い込まれていくのは、事業所じゃない。利用者であり保護者である。行政や学校や地域の他の保護者たちにも「援軍」を求めていくが、内容が理不尽なので、誰にも同意してもらえない。むしろ孤立していく。そんな中でも最後まで支えようと懸命なのは、自分が攻撃している事業所なのである。もし関係が破綻したら、後には何も残らない。そうなるのがおそろしいから、事業所は限界まで耐え続けるものの、支援者の心身が壊れても支え続けるなんてかっこいいことは言えない。こちらから「ごめんなさい。もう無理です」もありうる。
 極めて優秀な需給調整担当者を設立当初から擁していたため、ここまでこじれたのは法人設立からはじめてのこと。うちの事業所だけ使っていたら、起きなかった問題だろう。どんどん事業拡大しておいて、需給調整が追いつかなくなったからといきなり利用抑制されたのでは周囲がたまらない。法人種別は関係ないと思いつつも「これだから営利法人は」と言いたくもなる。
 ちなみにうちに盆休みはない。なんで1週間とか2週間とか休めるのだ。わからん。