どうして「地雷」は取り除かねばならないのか
監修者の名前につられて購入、そして読了。出版社の思うツボであろう。
- 作者: 上原芳枝,榊原洋一
- 出版社/メーカー: PHP研究所
- 発売日: 2011/05/28
- メディア: 単行本
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ただ、多くのケースを読んでいくうちに、子どもが「うまくできない(うまくいかない)」理由を考えるための着眼点はマスターできるかもしれない。実例集は、すべて問題を生じさせる「要因(「よんどころない事情」)」を複数あげている。子どもの行動の理由を説明できる仮説をたくさん頭に浮かべられたほうが、危険を冒さず慎重に支援が進められる。「自閉症」とか「ADHD」とかの特徴をあげていくのではなく、多様な脳機能の特性をずらっと並べるほうが、障害名に縛られないでその子自身を見つめられるようにも思う(もちろん各種の「障害」特性も説明されていたけれど)。
子どもの状態や支援の方法を誰かに伝えようとするとき、わかりやすく「たとえる」力というのがとても大事だ。本書で頻繁に使われていた「地雷除去作業」という表現は経験的に共感しやすい(「地雷」が不謹慎と言われるおそれはあるけれど)。環境や支援者の行動が「問題」の引き金になってしまわないように、事前にそれを取り除こう、調整しようということである。
ただ、それを「脳にとっていいから」と説明されるのはあまり好きになれない。負荷のかかる環境を避けるべきだと主張して「そんな甘えは許しません」と返されることぐらい空しいものはない。それでも、相手を「脳にとっていいから」と説き伏せるのでは、「今」のその子どもの苦労を受けとめてもらえていないんじゃないかと思えてしまう。一般に「我慢させる」ことに教育的意義が見出されているがゆえの不幸である。
以下、その他で印象的だったところを一部抜粋。
特別な配慮が必要な子をクラスで育てるためには、まわりの子をどう育てるかを先に考えるのが賢明のようです。配慮の必要な子の刺激となる子や、「なんであいつだけ」とうらやましがる子にも転導性や衝動性などが多少あって、ひと手間かける必要のある子です。(99ページ)
方法ばかりを提示され、注意・叱責・禁止で育てられると、このように幹のひ弱な子どもになることがあります。その副産物が理論武装です。周囲から攻められれば攻められるほど、表面的には長けていることばの力を武器としてみがき、一見論理的に聞こえるけれど、大本のところでズレている屁理屈で相手に向かっていくのです。(228ページ)
年齢が上がって家族以外の人と話すとき、「『○○のこと話してもいいですか?』と聞いてから話させる方法はどうですか?」と保護者から尋ねられることがあります。答えは「NO」です。「○○のこと話してもいいですか?」と聞かれて、「だめです」と言ってくれるありがたい他人はいないからです。「話してもいいですか?」と直接聞くのではなく、そのように聞かないとわからないときは、話さないほうが賢明であることを教えるといいでしょう。(239ページ)
面倒でできない、楽しくないことを忘れてしまう、こんな転導性や記憶の問題でなかなかうまくいかない子に、「じゃ、どうしようか?」と聞くと、「こんどはちゃんとやる」「がんばる」「忘れない」と言います。
そんなとき、私は「これはがんばれないから、そんなことでがんばるのはやめよう」と言うことがあります。「がんばるのではなくて頭を使おう、作戦を立てよう」と言うのです。子どもに「ちゃんとやる」「がんばる」なんて言わせて終わりにしているのでは、また同じことを繰り返させてしまいます。(280ページ)
園や学校で「専門機関につなげたいが保護者が子どもの障害を認めない」というお話がよく出ます。「つなげる目的は何ですか?」とお聞きするとびっくりされてしまうこともしばしばです。(284ページ)