泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

親であるだけでは書けない

 読了。積読になっていた。

あの夜、君が泣いたわけ―自閉症の子とともに生きて

あの夜、君が泣いたわけ―自閉症の子とともに生きて

 少し前に出されて、ネット上では障害をもつ子の家族からの高い評価がいくつか見られた。いわゆる「当事者本」というより「父親かつジャーナリスト」としての著者の力量が強く表れた本と思う。
 わが子にまつわる思いが抒情的に綴られるところはもちろん心を打つのだけれど、豊かな取材経験と、自身とは異なる立場の「当事者」に対するまなざしと、この国の障害者運動における「親」の位置づけへの自覚と、障害学的(社会モデル的)な知見とが相俟って、オリジナリティのあるエッセイ集となっている。「親だから」書ける本ではない。「論説委員だから」書ける本でもない。「親でもあり、論説委員でもある」から書けるのだろう。
 印象的なところを、少しだけ抜粋。

野蛮な市場至上主義には障害者福祉はなじまないと思う。しかし、競争原理がまったく働かないことによって、古くて時代に合わなくなったものがいつまでも残ることになる。それで安心感や生活の糧を得られるのであれば、親や福祉職員にとってはいいのかもしれないが、ものも言えず選択する機会も得られずに古いものに閉じ込められて人生を送る障害者はどうなのか。(68ページ)

「下の子どもに障害があることを明らかにしたら、バラエティーの出演依頼がパッタリこなくなりました」
真剣な顔でそう言うのは松野明美さんである。松野さんといえば駅伝やマラソンで日本のエースとなり、引退してからはバラエティー番組で独特のキャラクターを演じて人気者になった人である。
「どうしてですかねえ」と問う私に、松野さんは苦笑を浮かべた。
「やっぱり、笑えないということなんじゃないですか」(76-77ページ)

聴覚障害の人たちの団体が条例について勉強しようというタウンミーティングを開くことになった。私もシンポジストとして招かれた。会場には200人ぐらいがつめかけた。ほとんどが聴覚障害のある人だという。(中略)本番では手話通訳はついていた。ステージの端に立って、シンポジストの発言を通訳している。いつもと違うのは、手話通訳者は手話を使わないということだ。シンポジストたちが手話で意見を述べているのを見ながら、マイクを持って話し言葉で通訳している。誰のために? 私のためである。手話のわからない私のために通訳はいるのだ。(99-100ページ)」

「できないことを頼むのが恥ずかしいのか」と胸を張って医師が言えるのは、それ以上に誰かを助けてあげられる能力が自分にあるという確信を持っているからではないのか。(130ページ)

何もしなくても<何をするかわからない連中>というスティグマ(不名誉な社会的烙印)が精神障害者発達障害者や知的障害者には押されている。重度の脳性まひの男性が連続殺人犯の役を演じることができるのは、現実には彼がそのような事件を起こさないと社会が認めているからではないのか。(中略)身体障害者の<弱さ>がうらやましくなるときがある。社会が彼らの<弱さ>を認め、その<弱さ>を背負って抗議の声をあげる彼らに社会が沈黙するとき私は彼らをねたましく思う。知的な障害のためにそうした抗議の声をあげられないことにつけこまれ、徹底的に踏みつけられて道ばたにうち捨てられている障害者を見てくれと叫びたくなる。
しかし、私は知らないだけなのかもしれない。彼らの人生の悲しみも、深い井戸の底にそっと捨てた憤怒も。(189-192ページ)

 知的障害をもつ子どもの保護者や支援者はもちろん、障害者支援に関心をもつ学生にも薦められる本。