泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

今日の怒りどころ2つ

 その1。経緯。先月半ばに教育委員会を通じて、各小学校の支援学級に企画の案内を配布。締切は先月25日。締切を10日ほど過ぎて、保護者の連絡により、ひとつの小学校だけ配布されていないことが明らかに。定員も超えてしまっているが、その小学校からの申込が1件もないことに気がつかなかったこちらにも落ち度があるので、即日、案内を教育委員会に再度持参して、締切を再設定して、定員を超えてもその小学校だけは受けつけることを決定。
 今朝、その小学校の支援学級担任から「案内の開封が遅れた。これから生徒に渡す。締切が先週末になっているが、明後日ぐらいにできないか?」。お詫びの言葉いっさいなし。激怒。こちらが学生ボランティア集めるのにどれほどの苦労をしていると思っているのか。そして、長期休暇中の子どもの生活を案じる気持ちがあればありえないこと。
 その2。地元の社会福祉協議会から。「ボランティア表彰をするので聞いてほしいと言われたのだけれど、おたくがやっているのは、ホームページに書いてあった○○と○○と○○でよいか」。
 なぜ地域福祉の「中枢機関」に今さら事業内容をゼロから説明しなければならないのだ。そして、表彰する相手が何やっているかよく知らないってどういうことだ。「ボランティアグループとしての表彰なら○○と○○は関係ないと思うのだが」と伝えると「そうですかー」。その程度の区別さえついていない。こちらもこちらで今の社協の職員をほとんど知らないくらいの関係。ちゃんとした人は、みんな他の部署に異動したり退職したりしてしまった。
 昔は社協のすぐれた取り組みについて聞く機会もあったけれど、研究から離れ、障害児相手の直接支援にどっぷり浸かると、そんな機会もゼロ。本当に社協の必要性を感じなくなる。もはや単なるボランティア保険の加入窓口。
 この10年ぐらいの間にも社協による先駆的事例というのは新たに生み出されたりしているのだろうか。誰かが流行らせようとしているようにも見えた「コミュニティ・ソーシャルワーク」は、どうなったのだろう、と最初の怒りを超えたところまで思いは及ぶ。