泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

福島から帰ってきた支援者に話を聞いてみた

 タイトルどおりなのだけれど。
 被災地では、障害をもつ人々の生活も大変な打撃を受けているわけである。障害者支援業界の中には、被災地の状況を把握して、自分たちにできることをしようと懸命な方たちがいる。うちの法人と事務所を同じくしている(というかうちが間借りさせていただいている)他法人の職員も今週ずっと福島に入っていた。もちろん現地からの要請を受けてのことである。
 今日の夕方、自分が事務所で記録を書いていたところ、その人が帰ってきた。お疲れのところではあるが、少しだけ話を聞く。
 彼女は相談支援を仕事としているのだが、まず率直に質問。「他県の相談支援の人間が被災地に入っても、動きにくくはないのか?」。答えはイエス。「自分も何ができるかわからなかったし、被災地の相談支援員も何を頼んでよいかで戸惑っていた」とのこと。被災地にある社会資源については何ら知識を持っていないわけである。もちろん土地勘もないし、住民のことも知らない。全国共通の行政手続きなどは手伝えても、サービス調整となるとお手上げのようだ。
 では、「被災地にとって需要はなかったのか?」。答えはノー。彼女自身も帰る間際、もうこれで来ることはないものと思っていたそうである。あまり役に立てなかったから、と。
 しかし、現地の相談支援員の要望は「また来てほしい」であった。横にいてくれているだけでいいと。
 現地で支援の最前線にいる人々の中には、自らも大変な被災をした人もいる。相談支援の事業所というのは、そんなに多くの従業者がいるわけでもない。ただでさえ孤独に陥りやすい中で、被災。そして、かつて経験したことのない極限状態の中での仕事。支援者のメンタルケアができる同業者が必要だったのだ。
 他にも、山積みのまま減らない物資の状況だとか、他地域に移住する場合の相談支援どうしの連携の難しさとか、民間であってもときに「公平」「平等」に縛られて身動きがとれなくなってしまうこととか、依然として障害当事者の状況がはっきりしない地域のこととか、いろいろ聞いたのだけれど、自分自身がつらい状況に置かれながら他人の支援をすることの厳しさに一番気持ちが揺さぶられてしまった。被災を機に仕事を辞めてしまった者もたくさんいるらしい。
 伝聞ではあるが、被災した支援者への手当ても急務である、ということ。