泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ひさしぶりに障害学

障害学研究7

障害学研究7

 ひとまず「特集1 障害学とソーシャルワーク」だけ読んだ。
 たぶん3年ぐらい前の学会シンポジウムのまとめ。自分はおととしぐらいに一度だけ障害学会に行ったことがあるが、あの雰囲気の中でこんなにソーシャルワークについて専門用語もばんばん使って議論して、いったいどんなムードだったのだろうか。
 「障害学的なエッセンス」を支援に活かすとはどういうことなのか。支援の前提として依拠する障害モデルのありようなのか、専門職の知に対する懐疑的批判的視点なのか、方法としての社会運動や「ピア」の重視なのか。そして、この種の「○○と××」を議論するときにベンリな落としどころ「弁証法的解決」は、はたして必要なのか。というあたりが、読みながら論点として考えたところ。
 リソースが足らず、多様な立場をこなしながらの支援になればなるほど、純粋なアドボケイターであり続けるのは難しくなることを感じる近年、自分は「ソーシャルワーカー」からどんどん離れていきつつある気がする。事業所の金や人のことで悩んでばかりの支援者にきっといい支援はできない。その意味では、自分だけで悩み続けるべきなのだろうが、それもそれで苦しい。