泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 養護学校評議員会。
 次年度からようやく「支援学校」に正式名を変えるそうなので、長年慣れ親しんだ「養護学校」の名称ともお別れである。
 生徒の進路状況など聞いたが、数年前と比べ、通所先がずいぶん増えた。一自治体にひとつの大きな社会福祉法人がどーんとあって、その運営する作業所等に通うことがほぼ自動的に決まっていたような時代は、この近辺では終わった。リストには自分のよく知らない通所先もたくさん並ぶ。
 どうして、こんなに増えたのか。よくわからない。進路先の確保が難しいと叫ばれ始めて数年が経ち、急に増えた。社会資源というのはニーズに応じてちゃんと生まれてくるものなのだ、と結論づけたくなるが、無いところにはいつまでたっても無いのであり、起業する人たちの個別の事情によるところも多いのだろう。丁寧に分析したら、面白いような気もする。しないけど。
 これだけ増えると、向こう数年ぐらいはどうにかなりそうな気もする。しかし、それもおそらく数年である。事前に人数までほぼ厳密に予測できるニーズがあり、それに100%対応できるように関係者が尽力していく、というのは世の中にある数多の「サービス」の中でも特異なものではあるよなあ。