泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

サポブまがい

 あまりに本業の話題から遠ざかっているので、少しだけ仕事関連。
 自治体でサポートブックらしきものを導入する動きがあり、役所での会議に参加していたが、どうやらこれはサポートブックとは似て非なるものとわかる。
 ちなみにサポートブックというのは、まあ平たく言えば、子どもの保護者が「うちの子はこんな子です」ということを支援者に伝えやすくまとめたものである。ここでいう「支援者」は、先生、福祉サービス事業所、ボランティアなど多様な人々を含む。内容としては「うちの子はこんな子です」だけではなく、「こんなふうに支援してもらうとうまくいく」も書かれる。
 しかし、この「似て非なるもの」はあくまで子どもの過去から現在までの状態について記録を残そうとするだけで、支援方法を書く場所が全くない。自分が一般的なサポートブックとの違いを指摘したら、行政関係者一様に「客観性がない情報は迷惑」という反応だった。
 よく考えてみれば、純粋なサポートブックを自治体が積極的に作ろうとするはずがないのである。とりわけ、学校行政は保護者の「こんなふうに支援してもらうとうまくいく」に懐疑的だ。療育機関等のお墨付きがあるならばともかく、自治体が保健師保育所など通して配付して、誰からのチェックもなく保護者が記入したものに「うちの子をこんなふうに支えてください」と書かれていても、学校教員はきっと疑ってかかるだろう(渡し方を誤れば、モンスターペアレント予備軍に入隊させられかねない)。
 このサポートブックらしきものは、たぶん発達の過程を書きとめたり、検査結果をまとめるだけのものにしかならない。子どもについての情報は拡散したり、忘れられたりしやすいので、それはそれでもちろん意味がある。そして、有能な学校の先生ならば、必要な支援策を十分に引き出してくれるかもしれない。しかし、多くの先生たちに対してそれは過大な期待である。関係者の共通理解と一貫した支援、を標榜しながら、担任の考え方ひとつで毎年のように子どもへの支援方法は変わりうる。特に普通学級ならば。
 サポートブックの導入は、自治体主導よりも、療育機関主導で進めつつ行政・学校の理解も取り付けていくほうがうまくいく気がする。しかし、中途半端な形で自治体が動き始めてしまった。また、頭が痛い。自立支援協議会の子ども関係部会が立ち上がってから、軌道修正できるのだろうか。