泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 半引きこもりの日々。
 そんな中、非常勤講師業の最終日。卒論の口頭試問で主査および副査。ものすごくがんばった。体力も落ちているし、慣れないスーツに疲労は倍増した。終了後はふらふらだった。
 自ゼミの学生はレジュメづくりが遅々として進まず、メールで数十通に及ぶレジュメの書き方指導。当日も朝5時半に学生からメールが来て目が覚めるというありさま。遅刻者もいた。日にちを間違えている者もいた。ホッチキスをとめる場所も何人か間違っていた。それでも、いちおう最低限の形にはなった。一部は未採点なのでどうなるかわからないが、とにかく自分の仕事としてはほぼ終わった。
 副査としての仕事は、非常勤という立場に周囲の先生方も配慮してくださり、事前に論文を読まずに済むものにしてもらえた。しかし、何が出てくるか全くわからない発表をたった10分聞いてコメントしなければならないというのは、けっこうなプレッシャーである。他ゼミの学生とはいっさい関わりがないし、そもそも学科としては自分の専門から少しずれている。いくらEランク大学とはいえ、いい意味でも悪い意味でも「想定外のもの」が出てきたら、うまくコメントできるだろうか、と。
 幸いにして、すべて自分なりに質問やコメントできるものばかりであり、副査としてそつのない仕事をこなして終わらせることができた(ひとつだけ、一流大学でもなかなか見られないぐらい高水準のものがあって、びっくりはした)。修士号しかもっていない非常勤講師が偉い教授たちと机を並べられたのだから、貴重な経験ができたと思う。いっしょに副査をした教授(発達障害など専門でご著書まで持っているにも関わらず、この日が初対面)にも、自分のコメントをお褒めいただけた。
 相変わらず、アカデミックな場面では評価される。現場ではもう居場所がなくなるぐらいのダメな仕事ぶりなのに、皮肉なものである。ここぞという場面で上っ面を取り繕う能力には長けている。学生も、まさか査読者が病んでいるとは思っていまい。