泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

「療育」のできるまで

 あまりに更新しないと無事でいるのかどうかが疑われそうなので、更新。生きてます。難しいことを考えるエネルギーはないので、だらだらと書けることだけ。
 このブログで何をどこまで書いたのかよく覚えていないのだが、あと2週間ほどで「療育」というやつをはじめる。「療育」という呼び名はあまり好きではないけれど、残念ながら他の良い呼び名が思いつかないまま、この言葉の浸透度の高さに抗えなかったので、このまま使う(ただし、利用者向けにはいちいち定義をして使うことにした)。まずは週のうち数日だけ。「高機能」の幼児を集めて、児童デイサービスではない形でやる。
 この夏休みはひたすらその準備にあたっていた。法人設立以降、ガイドヘルプとか日中一時支援とか、制度外のイベントだとか、いろいろと子どもの支援をやってきた。それらとの比較で思ったこと。
 まだ開始前だというのに、クリアしなければいけない課題が膨大である。
 まず利用してくれる子どもの確保から。既存の療育機関や保健師との信頼関係なしには不可能だった。特に保健師。民間の一事業所がゼロから行う療育に保護者が子どもを通わせるのは簡単でない。療育の必要性そのものがぴんと来ていない保護者もたくさんいる。そんな中でよく集まったものだと思う。事業説明会の案内を各方面に配ってからもしばらくは申込が伸びなかった。結局、保健師を通じての申込が半数以上。ほっておいても、新規の利用依頼が増え続ける他事業とは違う(まあ、保健師や福祉課職員には「あっという間に増えますよ」って言われているけど)。長年にわたって、保健師とこつこつ関係を作ってきた成果が出た。
 就学前の健診や療育、保育所や幼稚園、就学などのシステムはずいぶん地域ごとの特性があるので、この地域の状況を把握するのも時間がかかった。今でも完全に把握できたと言える自信はない。でも、今後のライフステージまで含めて支援を続けていこうと思えば、連携が必須。小学校の林間学校の人手不足に支援者を派遣したら、それがきっかけとなって、一気に教育委員会と関係ができた。何でもやってみるもんである。今年から来た指導主事がやる気まんまんなのも大きい。ひとまずはいま年長さんの子どもの就学に関わりながら、小中学校を含めた支援システムを作っていける。うまくいけば次年度あたりから(一部では悪名高き)就学指導委員会とも関われる見込み。
 アセスメント。障害学や社会学の界隈ではこれまた悪名高そうな「発達検査」もした。他機関でやっている結果が入手できれば、そこから得られる情報も多いが、もっぱら超簡単なまとめしかもらえなかったので、自前で検査を取らざるを得なかった。とかく「選別」の道具のように思われがちな「検査」であるが、正しく使えば得られるものは大きい。自然な行動観察ではとらえきれなかったであろう結果に、何度も驚く。「わかっているように見えてしまう」子は多い。
 保護者からの聴き取りも、既に「障害福祉サービス」を使おうと事業所に来る保護者に対するものとは全く違う配慮が要る。「療育」「診断」「検査」などと無縁の生活を送ってきた保護者もいる。話をする表情からずいぶん違う。不安や緊張が伝わってくる。同時に、その不安や緊張が解けていく過程も感じられるのは、大きなやりがい。
 その他にも、希望曜日を尊重しつつのグルーピング。当然のごとく、たくさんの構造化。「自立課題」の作成。実際に子どもたちを集めての事前体験。その様子の全部をビデオ撮影して、今日はそれを見ながらプログラムの練り直し。書いていけば、きりがない。これから本格実施に移るわけだが、やっていくうちに効率化がちゃんと進んでいくんだろうかと不安は尽きない。丁寧にやろうとすれば、無限に仕事が増えそうな気がして。
 いずれは児童デイサービスに関連づけていかねばならないだろう。しかし、単なる学齢児の放課後の一時預かりでも、「ごちゃごちゃした環境の中で我慢を覚えることが大事なのだ」と言っていても、制度的な要件さえ満たしていれば「児童デイ」。改めて、よくわからない制度だと思わざるをえない。