泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

親たちは自由を手にしたのだろうか

 各地の親の会の役員さんたち向け講演。2時間ぐらい。
 手ごたえはあるような無いような。具体的に話すように心がけつつも、終盤に息切れしてつまらなくなった気もする。
 終了後に何人かの保護者が声をかけてくださり、いろいろ話を聞かせてもらえた。
 やはり障害福祉サービスが整備されることの負の側面として、親の会が弱体化してきたということが多くの地域で言えるように思える。
 何もなかった時代から、使えるサービスのある時代へと変わり、親たちは助けを事業所に求めるようになった。親どうしが連帯して社会資源を生み出さなくても、既にあるものを使えばいいのである。それはとても良いことに決まっている。 
 親どうしで話さなくても相談支援の事業者があるだけで十分な人もいる。誰かが定めたルールの中で既存のサービスを使うだけで十分な人もいる。わが子と自分の人生のことのみ考えて生きるのも全く自由だ。「地域」のこととか、その他たくさんの親子のことを考える責務なんてない。だから「支援者」として「もっと親の会に関わりをもってほしい」なんて軽々しく言えない。
 にもかかわらず、自分が親の会に思い入れをもつのは、学生のころから多くの親たちと一緒に活動してきた経験から、セルフヘルプグループや運動体としての親の会機能が、他のものにそのまま代替できるとはどうしても思えないからである。各地の親の会は発展とともに支援者からも多くの期待を寄せられ、地域の中で無くてはならない重要な位置づけを得ていたはずであるが、障害福祉における親の会の機能は明示されてこなかった。今となっては、もっと早い時期にこの種の議論がなされるべきではなかったかと悔やまれる。
 国の中央でも地方でも「当事者」の声を汲むべく必要とされている組織であるのに、地域の中でそれが障害福祉施策の進展とともに弱体化して、親たちがばらばらになっていくというのは、関係者みんなで対応を考えたほうがよいと思うのだけれど。「障害福祉サービス」の提供が出発点になっている支援者には、見えにくい問題であるのかもしれない。これはノスタルジーなのだろうかとも疑ってしまう自分は、もうすっかりおっさんである。