泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

ケータイ世代のボランティア募集

 なんとなく障害福祉関係のことについて書く気持ちがわかないので、ゆるい感じの内容ばかりになるのだけれど。
 自法人でずいぶん学生ボランティアたちが活動している。ボランティア募集を大学の中で行おうとすると、いろいろと制約がある。どんな制約があるかは大学によって様々。自分の母校は、団体登録の用紙に学生5名以上の署名捺印と、誰か大学教員からも署名捺印をもらって提出せねばならない。
 学生は5人以上いる。自分も院生として長年在籍していたので、教員に事情を話してハンコもらうのなんて何でもない。しかし、せっかく学生の団体として登録するのだから、そのぐらい学生にやってもらいたい。
 ということで、学生にまかせていたわけである。

 提出締め切りまであと3日ほどに迫った昨日、この担当の学生が事務所の隅で他学生に「やばいっす」的なことを言っているのを横目で見ていた。「メール出したんすけど、断られるんですよ」という愚痴も聞こえる。「ハンコ押すだけっすよ。なんでダメなんすかねえ」。
 他学生が助けようと、知っている教員からハンコをもらおうと策を講じはじめる。
 しかし、その教員に直接連絡をとるわけではないらしい。その教員のアドレスを知るために、また別の学生に携帯メールを出している。おそらくアドレスが入手できれば、依頼するつもりなのである。もちろん携帯メールで。
 なかなかアドレスが入手できないらしく、仮に連絡がとれたとしても、ハンコをもらえる時間がお互いにあるかどうかはわからない。焦った学生はその教員と法人副代表の苗字が同じであることに気づいた。
「○○さん(副代表)、ハンコ貸してもらっていいすか?」
「シャチハタしかないけど。なんで?」
「先生のハンコがいるんですけど、○○さんと苗字が同じなんです」
「○○先生と、話はできてるの」
「いいえ」

有印私文書偽造未遂。もちろん制止。

その後も教員のアドレスを入手するために他学生にメールしては返事を待ち続ける学生たちに、自分のイライラ爆発。「もういい。こっちで連絡とる」。その先生とはわずかな面識があるぐらいだったけれど、15分後ぐらいには連絡がとれて、電話で話せる。今日、お会いして印鑑もらってきた。

いったいいつの時代から、自分が直接話したこともない教員に携帯メールで「書類にハンコください」なんて頼むことが当然かつ合理的と思われるようになったのだろうか。ほとんどの学生にとって、携帯電話とはメールをするためのものらしく、頼みごとだろうが相談だろうが何だろうが、まずは携帯メール。いまだに、学生は何がまずかったか、何に自分が苛立っているか、わかっていないようだけども。

この学生たちがこれから新入生たちに向けてボランティア募集をするのである。この2年ほど募集には失敗しており、学生たちはミーティングを繰り返して、あれこれと戦略を練っているが、もう結果は見えている。新入生からもらった「活動したい」というメールに「会って、説明しましょう」と返信して、会う。しかし、活動中に直接話そうとはしない。不思議なことに、事前事後のフォローをする担当というのが決められており、メールで「明日はよろしくね」「活動どうだった?」。

みんな対人コミュニケーションスキルに課題があるわけでもなく、会えば普通に話ができる子ばかりなのに、なぜ場面に応じてメディアを使い分けられないのか。世間では一応「一流大学」と呼ばれるところに通っている学生たちである。全く理解に苦しむ。

こんな惨憺たる有り様なのに、職員たちの力によって、対外的には「このあたりでは類例のないほどに学生ボランティアが活発なNPO」ということになっているのだった。外から見ると、内から見るとでは大違い。

あ、ちなみにその先生から聞いた話で面白かったのは「福祉学科は資格をとるためのカリキュラムが多すぎるのに加えて、第一志望の他学部に落ちて入学してきた学生が多く、ボランティアなどの社会的活動をしなくなっている。むしろ、非・福祉学部の学生のほうが活動熱心で、かつ成績も上位」という話だった。十分な能力がなく、「資格」という形しか自分たちの能力や権威を主張できなくなり、ますます必要な経験を積む時間が奪われる。悲惨で滑稽な悪循環である。

後輩院生からは、海外でソーシャルワークを経験して博士号を取得しかけている院生が「社会福祉士」を持っていない、という理由で、教員ポストをなかなか確保できずに苦しんでいるという話も聞いた。もはやこの国で優れたソーシャルワーカーが「社会福祉学」の中から生まれてくる気がしない。