泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

未来のための総括(1)

 さて、そんなわけで障害福祉関係者以外にはほとんど関心を抱かれないであろう支援費および自立支援法の総括をはじめないといけないわけである。うまくいかないことだらけで、いま全く元気はないのだけれど、先日の記事の中で宣言してしまった以上は、やらなければ。
 ただ、どんな手順でやるか。それぞれの制度が自ら掲げた目的に照らしてどう評価できるか、と見ていく方法もあるだろうし、単純に自分が支援をしている人たちにとって、これらの制度がどう作用したのか、と見ていくこともできる。
 前者がきっちりできたらいいけれど、実際には後者が中心になってしまいそうな気もする。まずは支援費から。たぶん回顧録的になる。そして、そんなに時間がないので、ちびちびと書いていく。

 思い返せば、支援費制度で強調されたのは利用者と事業者の「対等な関係」やサービス利用における「自己決定」だった。「措置制度」に対する「契約制度」という構図である。「ノーマライゼーション」「自立と社会参加」なども言われていたが、このあたりのスローガンが支援費のサービス体系にどう反映されていたのかはわかりにくい。
 行政処分としての措置によって使えるサービスを一方的に決められる、ということがどのぐらい実態としてあったか。自分が法人を立ち上げたのは、2003年。まさに支援費開始元年だったから、それほど措置の時代に詳しいわけではない。ただ、教科書的な「措置」についての記述など見ると、利用者サイドの意思など関係なしに使うサービスを決められるかのように読める。それは、知的障害者福祉の実態だったろうか。
 問題は、措置か契約かということではなくて、使えるものがあるかないか、だった。だから「選べる」ほどに社会資源がなければ、使う側には何の恩恵も感じられない。ただ今まで使っていたものに「契約書」が出来て、面倒な説明を聞かされて、何度も名前や住所を書かされるだけだ。権利性が増す、なんてことは全く実感できない。
 その観点から言えば、契約制度への移行うんぬんよりも、事業所が増えるかどうか、がカギであり、事業所が増えるかどうかは、「金」と自治体の支給量にかかっていたと言える。
 通所のほうの「金」に変化があったのかよく知らない。ただ、知的障害者の「地域生活支援」の業界にとってみれば、いきなり安定した経営が可能なほどの報酬単価が設定された事業もあった。その代表格がガイドヘルプ。これが国から嫌われて憂き目にあってきたのは、これまでにさんざんこのブログで書いてきた。だから、この総括では少し違うことを思い返して書いていきたい。
 今日はここまで。つづく。 →続きはこちら