泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

定時に帰る人への寛容と非寛容

そうだったのか!発達障害 わざとじゃないモン―実録4コママンガ

そうだったのか!発達障害 わざとじゃないモン―実録4コママンガ

 最近出版ラッシュの「発達障害当事者本」のひとつと言ってもよいのだろうか。
 文字も大きいし、小中学生でも読めるぐらいの本だ。平易だが、発達障害関連のキーワード解説はけっこう盛り込まれている。4コママンガはほとんど「棒人間」だけれど。
 そんな易しい本を読んで、考え込んだのは終盤である。ずっと当事者としての体験がマンガで表現されてきていたのである。ところが、最後のエピソードふたつ。実際はマンガが添えられているが、文字部分のみ引用。

お昼ですよ 友人の職場で
ある日、職場での会議の時
その人は12時前になるとしきりに時間を気にしはじめた。
時間になったとたんに会議中にもかかわらず、「お昼ですよ」といって立ち上がり、
ひとりで部屋を出て行った。出席者は「……」呆然。

6時ですよ 友人の職場で
このところ、納期に追われ、部署の全員が、忙しく仕事をしている。
毎日、毎日残業が当たり前
なのに、きっかり6時になると、
「じゃー、ぼく、帰るから。後よろしく」
と帰っていく。一応、彼は責任者なのだが…。

 これに本文で説明がさらに加えられる。

私「でもねぇ、これだけで発達障害うんぬんはどうかと思うよ。もしかしたら、なにかご家庭に事情がおありなのかもしれないし、体調的にむりのできない方かもしれないし、その時、たまたま用事があったかもしれない……」
友人「いいえ、毎日ですよ。いつもいつも同じ時間に帰るのよ。用事も体調も関係なさそう。もしそうだとしても、部署の者がみんな大変な時に、いつも通りに何事もないかのように『じゃー』と手を挙げて帰られるとね。やっぱり気持ちはよくないですよ。しかも、笑顔でですよ。どうしたらいいんですか? 一応、責任者なんですよ」
 そうですね。気持ちはよくないですね……。
 私には、友人のグチを聞くだけしかできませんが、もし仮に、彼になんらかの偏りがあったとして考えるなら、
・自分のパターンを変えられない
・相手の立場になって考えられない
などの、しんどさを持つ方なのかもしれませんね。
 困ったねぇ。どうしたらいいんだろうねぇ。
 社会が発達障害のことを少しでも理解しててくれるとお互いがやりやすくなるんだけどねぇ。

 こうして友人の職場の「その人」は「発達障害」となった。「私」は、「発達障害」と理解することによって、むしろその人に優しくなれる。「友人」は、「発達障害」と理解しても「気持ちはよくない」と言い、「どうしたらいいのか」と問う。
 集団生活やチームプレーがうまくやっていけない人に対して周囲が寛容になるのに、どうしても「発達障害」の概念が必要とは思わない。むしろ排除につながる危険性だってある。が、「私」には「発達障害」としての理解が効果的に作用しているかもしれない。一方で「友人」には効果がない。むしろ「発達障害」だからこそ、「発達障害」への効果的な対処法を教えて欲しい、となる。
 同じ(医学モデル的な?)障害理解がどのような影響を及ぼすのかは、社会的な条件に因るだろう。この条件を明らかにすることこそが、(医学モデル的な?)「障害」という概念を我々が活用すべきか、手放すべきかの判断を正しく行わせるのだろう。
 ちなみにこのやりとりは「その人」不在で行われている。これがまた議論を複雑にする…。