泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

次年度計画

 予算が非常に厳しい。
 かなり楽観的に見て、どうにか収支が合うぐらい。
 法人設立以来、毎年けっこうな黒字を出してやってきたが(すごい薄給で「黒字」出してもあまり自慢にならないけど)、次年度が最も厳しい年になることは間違いない。
 12月から子どもたちの放課後の居場所づくりをはじめたが、ここが大赤字を出し続けている。家賃や駐車場代や車両などにかかる費用が大きい。「場」をもつということは、予想以上に金がかかる。次年度も同じ状況ならば、法人全体の経営が傾く。利用者からもらっている協力金の額を下げれば利用は増えるだろうが、下げたぶんをカバーできるほど利用が増えるかどうかの予想は難しい。ほとんどの子どもは誰か支援者をマンツーマンでつけて賃金を払うことになるのだし、「薄利多売」に踏み込むかどうかの境目である。
 利用が増えすぎれば、あっという間に定員いっぱいになり、新規の利用を断らなければならなくなる。これからも子どもは増えていくのだし、将来に向けての余裕も必要だ。しかし、今のままでは利用が少なすぎる。経営上は、絶妙なバランスを保ち続けなければいけない。しかし、そんなものはあくまで経営的な観点でしかない。つらい。
「働きたい」保護者はたくさんいて、子どもを「預けたい」と思っている。協力金の額をどーんと下げれば、働く親の子どもで事業所は即座に毎日満員になるのは間違いない。そして、他の子どもは使えなくなるだろう。これまでも、この地域では支援を受けるのに「働いたもの勝ち」の現状があった。切実に働かなければならない人はたくさんいる。しかし、そうでない人もいる。働けるものなら働きたいが、「本当に働かなければならないところがサービスを使えるように」と配慮して我慢している人もいる。そんな人がいることを知りながら、就労を理由にサービスを使っている人が働いていない様子を目の当たりにしてしまったりもする。余裕のない事業所は、そんなことで少し不満を抱いたりもしてしまう。そのぐらいの息抜きだって必要なはずなのに。
 そんな葛藤の中で、就労だけに主眼を置くことはすまいと、子どもたちの「居場所」としての意味を強調して作り出した空間なのに、就労ニーズ以外の利用が思ったよりも伸びず、いま自分は4月から就労目的の利用が増えることを「経営的に」少し期待しはじめている。全く皮肉な話であり、自分の経営センスの無さといやらしさに失望する。
 まだまだ地域に足らないものをこれから生み出していきたいのに、こんなところでつまづいていてどうするのだろう。