泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

間もなく説明会

 障害をもつ子どもの放課後の居場所づくり(いわゆる日中一時支援事業なのだが、この呼び名がどうも馴染めないし、子どもの能動性が感じられない「一時預かり」とも言いたくないということで、こんな表現に落ち着いた)の利用者向け説明会を控えて、説明資料づくり。
 就労保障としての学童での受け入れが先行する一方で、地元にあった日中一時支援事業者は新規契約をストップ。このあたりの子どもはみんな車に長い時間乗って、近隣自治体の事業所まで行くことになっていた。しかし、それすらも利用できない子どもも多く、特に大人数のいる場所が苦手な子どもは全く行き場がなかった。
 小さいながらも場所を確保することができ、ようやく自分たちにも少しだけ貢献できる準備が整ってきたが、はっきり言って制度の枠の中では全く運営が成り立たない。協力金という形でそこそこの額の利用者負担を求めることになった。低所得のところには払うのが苦しいであろう金額を、数日後に多くの保護者の前で自分は提示しなければならない。つらい。
 職員3人であれこれとシミュレーションをしながら、ひどい金額だと思う一方で、これだけの費用負担を求められれば子どもを預けっぱなしにするような過剰利用には結びつかないだろうなどとも考えてしまう。子どもを預けるために働くというようなことも生じにくいだろうなどとも考えてしまう。こんな形で抑制したって、何の問題解決にもならないのに。ただ、利用者負担を0円にした地域にある事業所の苦労も聞いている。相談支援をはじめとして、地域に多様で厚みのある支援体制が整わなければ、結局ケアの提供に集中するのは目に見えている。自法人の支援だけではまだまだ薄っぺらく、かといって他に頼れるところがたくさんあるわけでもない。最近は、発達とか行動とかについての本ばかり読んでいるが、それも支援の幅を広げてこられなかったことへの反省から。家族に対して、もっと的確な助言ができるように。
 近隣の事業所の明るみに出ない不正の話ばかり耳に入ってくる。どんなに苦しくとも資源の稀少性につけこまないように自戒しながらいこう。