泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

比較されないよりマシ、なのか?

学校見学時の校長の対応(AFCPさん)
http://homepage3.nifty.com/afcp/B408387254/C174902512/E20081004174536/index.html
のコメント欄にて

健常児の親からすると 特別支援は 各校じゃなくて、市に 数校ではいけないのだろうかと思う。教員不足や 学力低下問題もあるし、先生を健常児たちにも 増やしてほしい。健常児の親側からすれば あんな少人数で特別に支援を受けているのに まだ 何を望むのだろうと思う。みんな我慢しながら 生きているのに。

 先日、ここに書かれているのと同じような話をされたと特別支援学級生の保護者から聞いた。
 こういうのって昔からあったのだろうか。新しい時代に入ったということなのだろうか。学童保育所で障害をもつ子どもに対して行ってきた支援に「特別扱い」として文句言われることは多々あったけれど(それは5年に及ぶ実践の最大のテーマでもあった)、それは「健常児」と全く同じ「学童保育所」という環境の中に置かれたから。同じ学校の中でも通常学級と特別支援学級という分けられた空間の中で異なる教育を受けながら、比較されるとは。こういう人たちにとって、いったい何をもって「平等」の基準とされるのだろうか。まだ「同じ学校」という共通項を持っているがゆえに、おかしなポイントで比較されてしまうのだろうか。
 それでも、ひとたび比較不能な場にまで追いやられてしまえば、その排除を告発するのは大変だろう。特別支援教育のふんばりどころなのかもしれない。