泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

放課後に迷う大人たち

 諸事情あって「放課後子ども教室」関係者が集まるイベントに参加する羽目になったのである。
 ご存知の方がどのくらいいるかわからないが、この「放課後子ども教室」というのは、文部科学省が実施するもので、一般的な説明としては「すべての子どもを対象とし、安全・安心な子どもの活動拠点(居場所)を設け、地域の方々の参画を得て、子どもたちと共に勉強やスポーツ・文化活動、地域住民との交流活動等の取組を推進する事業」。つまり「子どもたちの居場所づくりを地域ぐるみで行うことを通じて、子どもたちの安全と地域の絆を取り戻そう!めでたしめでたし」というストーリーを目指しているわけである。ここでいう「地域の方々」とは、退職教員やPTA関係者、大学生、社会教育委員などのボランティア。
放課後子ども教室推進事業
http://www.houkago-plan.go.jp/houkago/index.html
 ややこしいのは、従前からある学童保育所(放課後児童クラブ)との関係だ。実施の理念や場所については大差がない。明確な違いは「親の就労保障」のための場であるか、ないか。しかし、それは子どもにとっての機能の違いではないので、現場で実施する活動の内容としてはいったいどう区別するのか、という疑問が出てくる。ちなみに放課後児童クラブは、厚生労働省管轄。こちらは有給の指導員が雇われているから、国はいずれ放課後子ども教室にすべてを一元化して、既存の学童保育をすべてボランティアによる運営に切り替えたいのではないか、と危惧するのは自然な話で、国の説明もなんだかよくわからない。
混乱ぶりと、国のよくわからない説明はこちら↓
http://www2s.biglobe.ne.jp/~Gakudou/plan.htm
 障害をもつ子どもたちの居場所として学童保育に関わっている者としては、いずれ関わることになるかもしれない「放課後子ども教室」。障害児の保護者が「ガイドヘルプで『放課後子ども教室』に行って、地域の子どもと交流させてきて」など言い始める可能性だってある。さて、どんなことをどんな人たちがやっているのだろうか。イベントに参加する羽目になった理由はもうちょっと違うところにあるものの、せっかく来たのだし、雰囲気だけでも感じ取ろうと思っていた。
 しかし、各地の実践報告を聞いてみての結論。どこも手探り状態であって、学童よりもずっとひどい。どのような意味でひどいか。いったい何のために、「子ども教室」を開設するのか、ということについて誰もポリシーなんかもっていない、という意味でひどい。未来の子どもたちにどんなふうに成長してほしいのか、について誰も語る力をもっていない、という意味でひどい。さほど自主性のないボランティアが、行政から頼まれて、やらなければいけない居場所づくりをしている、という意味でひどい。民生委員がしばしば「官製ボランティア」と呼ばれるが、文部科学省と各自治体の社会教育関係課のもとにますます多くの官製ボランティアが製造されようとしている現実が見える。まだまだこの「教室」は一部の自治体でしか実施されていない。これから全国に広まるだろう。各地で教育委員会から声をかけやすい関係者やサークル等にボランティア要請が出され、動員がかけられていく。
 その結果として、日ごろの活動での悩みごとの話になると、どこからも「安全」についての話題ばかり出てくる。帰り道に子どもの身に何かあったらどうしよう、というわけだ。活動中に事故があったらどうしよう、というのもあった。ご丁寧に看護経験者が配置されているところまであるらしい。登下校の安全を見守ってくれる団体の人と連携してやったらどうか、とか、うんたらかんたら。いかにも「行政」らしい悩みではないか。
 その程度のことしか議論できないなら、やめてしまえばいいのに。
 学童と違って、誰かがどうしてもやらなきゃいけないことでもない。今なされているのは、子どもたちに遊びの場所と遊び道具などを提供しているだけである。そこに大人がいて、何か問題が起こらないかどうか、監視している。ただ、それだけ。この場を通じて、子どもたちに何を学んでほしいか、とか、子どもたちにどんな社会を作ってほしいか、とか何も考えられてはいない。「ニュースポーツ」だの「昔ながらの遊び」だの、大人から「遊び」を与えられる受動的な子どもを増やしているだけである。
 どこの自治体にも「社会教育」を推進する課というのがあって、学校教育とは異なる機能を期待されている。「社会教育主事」なんて資格の人がいたりもする。いつも思うのだが、これらの「社会教育」関係者は何を自分たちの仕事の意義と考えているのだろうか。それがわからない。
 自分たちの法人も、まさに「社会教育」の担当課から障害児の活動に関して支援を受けたりしている。そこでは、高校生や大学生のボランティアが活動を通じて、子どものこと、社会のことについて考えを深めている。障害児の長期休暇中の居場所づくり、よりも、こちらのほうがずっと「社会教育」の観点と親和的だと思うのだが、支援を受けているのはあくまで障害児の活動に対して、である。学生ボランティアのことについては、何の興味もないらしい。気にされるのは、地域の小中学校の特別支援学級生がどれだけ活動に参加しているか、の数だけである。
 結局、大人も自分が育ってきた中で何を欠いてきたか、についてわかっていないのだと思う。みんな昔みたいな子育ち環境になればいいと思っている。それが誤解でしかなく、昔からこの国の子どもは大事なことを学ぶ機会をもてなかったのだ、と反省できたら、そこから子ども教室でも学童でもはじめられることはたくさんあるはずなのに。
 ちなみに、子どもが昔よりも危険にさらされていて、大人が見守らなければいけない時代になった、というのは全く間違いであるので、「少年犯罪は増えていない」同様に、もっと強調されていいと思う。近所の学習塾の前に停まる大量の「お迎え」車を見るにつけ、そう思う。
幼児や小学生の殺人被害者数統計など
http://kangaeru.s59.xrea.com/G-baby.htm
http://blog.livedoor.jp/kangaeru2001/archives/50793290.html