泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

労働基準法

 最も身近な社会福祉法人労働基準監督署が入った。
 聞けば、匿名の内部告発があったそうだ。サービス残業が多いとかなんとか。
 世間は厳しい労働条件で搾取される福祉労働者が勇気ある告発をしたと思うのだろうか。
 当事者ではない自分が腹を立てる必要はないはずだが、自分はその告発をした者に苛立っている。失望している。その行動が正しいとか間違っているとかではなく、なんてセンスがないのだろうと。
 法人はずっと大赤字である。自立支援法以降、その状況は厳しさを増している。人件費率はすでに75%を超す。設立以来あらゆるニーズに応じる努力をしてきたのに、今では新規のサービス利用契約には積極的になれないほどの状況だ。そんな苦しい中でも、重い行動障害のある人などのためにケアホームを建てたり、懸命な努力をされてきた。社会福祉法人としては、決して給料は悪くない。賞与だって、ある。
 経営について第三者があれこれ評論するのは簡単だ。法は法だと言うのも簡単だ。しかし、24時間マンツーマン対応が必要な人を多く支援していれば、そのすべてが制度的な支援でまかなえるわけではない。そして、田舎である。宿泊を伴うような支援ばかりを行うような支援者が簡単に見つかることもない。常勤職員は、さまざまな場面で無理をすることも避けられない。そのすべてに手当をしていたら、法人がさらに危機的な状態に追い込まれることは容易に想像がつく。実際、労働基準監督署から支払いを命じられたという過去2年分の残業代は、常勤職員数名分の年収に相当するだろう。うちの法人の年間予算規模ぐらい。
 あくまで法律を守れというなら、それに従うことは簡単である。賞与をカットして、残業手当にまわせばいい。しかし、その告発をした者はそんなことを求めていたのだろうか。もし、そんなことを求めていたのではないというなら、いったい何を求めているのだろう。もっと休ませろ、ということだろうか。あるいは、みんなもっと休め、ということだろうか。みんなが早々と仕事を終えたり、夜中の支援をやめようと言ったとき、まさに支援を必要とする人の24時間の生活は誰がどう支えるのか。それだけの仕組みが、現在の制度体系の中で可能なのかどうか、自分の法人内で構築可能なのかどうか、きちんと考えたり努力した上での行動のようには自分にはどうしても思えないのである。労基署に電話する前に、お前はやるべきことを本当にやったのか、と。
 一昔前のこの法人なら、考えられなかったこと。福祉就職フェアが閑散としているという話は、昨年あたりからよく聞かれるようになった。人材が民間企業に流れていく。社会福祉法人は労働条件ではまず勝てない。それでも、営利企業ではないからこそ、できる仕事というのがある。金にならなくても、必要な仕事がある。労働者である以前に支援者としてできることを考える力を、中途半端な障害者福祉の制度化は奪ってしまったのかもしれない。
 他法人の話なのに、とにかく暗い気持ち。その告発者はいったい何がやりたくて、この世界に入ってきたのだろう。空しい。