泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

 最悪。胃が痛むほど空腹になっても、食事がのど通らず。今日は水分のみ。夜の院ゼミも休んだ。
 なんでこれほどまでに各方面に神経を使いながら調整をしなければならないのだろう。みんなのはけ口を買って出ているのに、状況は好転しない。システムを作ってそれにみんなが従うようにしてしまえば、一見うまくいくように見えるが、働く者のプライドやモチベーションがそれで保たれるとは限らない。
 月に1度、1時間の会議を開くことの必要とその内容について合意形成するのに、のべ何十時間の対話をしたらいいのか。コミュニケーションに絶望しつつある。もともとそれほど信頼していたわけではないけれど、より一層。
 口げんか同様の混沌とした議論を、自分ひとりでKJ法など使って図式化したら、すっきりと課題は見えた。しかし、そんなものが見えたからどうだというのか。関係者の感情のもつれをときほぐす方法が明らかになるわけでもない。誰も自分の非は認めたがらないから、課題が課題として共有できない。みんな感情むきだしのコミュニケーションをとっているくせに、肝心な場面になると「私たちは大人だから、感情的になんかなっていない」と信じがたいことを言う。「仕事なんだから」と言ってみても、あまり意味はない。ワーカーである以前に人間だ、ということになって、終わり。
 出口が見えない。泥沼。