泣きやむまで 泣くといい

知的障害児と家族の支援からはじまり、気がついたら発達障害、不登校、子どもの貧困などいろいろと。関西某所で悩みの尽きない零細NPO代表の日々。

問い

 お気に入りだった広告看板が変わってしまった、ことにパニックになる、とか、番組改編期のTV番組の中止に耐えられない、とか、いうことは、障害の社会モデルの立場から、どう理解したらよいか。それは「差別」や「排除」の変種と言えるのか。言えないならば、ここでいう「障害」とはいったい「どこに」あるのか? 我々は、知的障害や発達障害をもつ人々を支えるにあたって、社会にどこまで何を求めてよいのか?
 支援者が地域に出て行って、あれこれとお願いしようとしたとき、「なんでそこまで配慮しなければいけないんだ」と言われてしまう、というのは、きっと根本的にはそういう問題なのだろうと思う。